6月10日前後は、本州の
花菖蒲の花
が最も見ごろを迎える時季です。
江戸時代に栽培種の改良が進み、江戸から全国各地に花菖蒲園の開設が広まりました。
この時季は旧暦では5月になり、丁度端午の節句の頃に当たります。
菖蒲という呼び名が
尚武(武を尊ぶという意味)
や勝負に通ずるということで、サトイモ科の香りの強い草菖蒲でお酒や菖蒲湯を作り、アヤメ科の花菖蒲の花を活けてお祝いしました。
そうです、菖蒲酒や菖蒲湯を作るあの葉っぱと花菖蒲は、全然違う植物なんです。
紛らわしいあやめと菖蒲
ノハナショウブと花菖蒲とあやめと杜若
菖蒲は(アヤメ)と読むと
アヤメ科アヤメ属の別種には他に花菖蒲と杜若(カキツバタ)があります。
- あやめ
- 花菖蒲
- 杜若
を全部まとめて「あやめ」ということも「花菖蒲」ということもあります。
これらの花は品種改良された栽培種で、元は日本に自生していたノハナショウブという鮮やかな紫の花が咲く植物が原種です。
菖蒲だけ別物。でもあやめと異種同名
菖蒲を(ショウブ)と読むと
独特の強い香りがあり、葉が鋭い剣のような形であることから、中国では古くから邪気を祓う霊験のある植物だとされていました。
漢字で書くと同じであるだけでなく、見た目もあやめの葉っぱとそっくりです。
が、まったく別の植物です。
全国の菖蒲園のほとんどはしょうぶえんという名称ですが、そこにある花はほぼアヤメ科アヤメ属のもので、ショウブがまったくない「しょうぶえん」もあります。
あやめの名はどこから来たのか?
もともとは全部あやめだった
現在の名称区別を見ていると菖蒲の名が先にあって、あとから花のほうを花菖蒲と名付けたようにも見えます。
しかし、いろいろな文献をあたっていくと
端午の節句と共に伝わった菖蒲の邪気払い
花菖蒲の栽培化が進むのは戦国時代の頃です。
それより先の奈良時代に、端午の節句の風習が中国から伝わりました。
伝わったばかりの頃の端午の節句は、ショウブで邪気を祓う季節行事でした。
中国語でショウブは白菖と言いますが、なぜか菖蒲という字を充てて「ショウブ」と読ませる訳になりました。
が、庶民の多くは従来通り「あやめ」と呼び続けるうち、あやめにも菖蒲の字が充てられるようになったと解釈する人たちが多いです。
そしてこの異種同名状態が続いていることで、いろいろな混乱が生じやすいのです。
あやめの由来は未だに謎
いろいろあるあやめの語源説
現代の区別は、外側の花びらの根元のところに網の目のような模様がある種が「あやめ」と呼ばれるため、この網の目模様から名付けた、という説があります。
しかし、品種改良が進む前ノハナショウブには網目模様がありませんが、すでに「あやめ」と呼ばれていました。
奈良時代に中国から渡来した女性をあやめと呼び、彼女らが端午の節句に使った邪気払いの葉も「あやめ」になった、とする説も、同じく矛盾します。
ハナショウブの花びらには黄色い斑紋(目)があり、青い炎が燃えるような花色の中の黄色は、さらに鮮やかに映えるので、あざやかな目の意から「あやめ」となったという説は、比較的自然です。
が、結局本当の所はよくわかっていません。
花びらの青紫が特に濃く鮮やかに映る品種については、「あざやかな目」のインパクトもより衝撃的に映り込むので、それらの品種を総じて稲妻と呼ぶこともあります。
そして花菖蒲の品種の中にも、正式に「稲妻」と命名されたものがあります。
もう何から何まで、紛らわしくてややこしいことが多い花なんです。
ですが
あやめと菖蒲・・・
何回聞いてもややこしいなぁ~
あやめは未だに、謎なことが多いし、はっきりせえへんな。