7月といえば
七夕の日
誰もが少し優しい気持ちになれる、子供の頃から親しんできた日です。
七夕のストーリーについて前回お話しましたが(詳しくはこちら「七夕(たなばた)の伝説、覚えていますか?」)
今回は、七夕が生まれたといわれている3つの文化についてご紹介したいと思います。
七夕の由来といわれる3つの文化
七夕という行事はよく考えるとさまざまな疑問がわきます。
- なぜ「たなばた」というのか
- なぜ笹竹に短冊を飾るのか
- なぜ願いごとをするのか
などなど。
そんな疑問の答えは由来に隠されていました。
七夕はさまざまな文化が融合して現在の七夕の日になっているといわれています。
その中でも有力といわれている3つの文化があります。
その1 「日本古来の禊(みそぎ)行事『棚機』」
がありました。
お盆を迎える前の7月7日に秋の豊作を祈り、人々の穢れ(けがれ)を払うというもの。
乙女たちは清い水辺にある機屋(はたや)にこもりひたすら神様への着物を織っていたといわれます。
そのときに使われていた織り機が棚機(たなばた)でした。
7月7日の夕方を
七夕(ひちせき)
と読んでいたといわれますが、この棚機と相まって現在の七夕(たなばた)につながっているんですね。
その2 「星にまつわる伝説」
2つ目の伝説は、星座にまつわるお話です。
琴座のペガ
と呼ばれる織女(しゅくじょ)星は、裁縫の仕事、鷲(わし)座のアルタイルと呼ばれる牽牛(けんぎゅう)星は農業をつかさどる星といわれていました。
この2つの星は、7月に天の川をはさんでもっともキレイに輝いてみえることから、現在のおりひめとひこぼしの七夕ストーリーが生まれました。
星はいつの時代にも人々にロマンを与えていたのですね。
その3 「中国からの由来」
昔から中国には
乞巧奠(きこうでん)
という行事がありました。
7月7日に織女星にあやかって機織りが上達するようにとお祈りをささげる風習です。
のちには、機織りだけではなく
- 芸事
- 書道
などの上達も願うようになったといいます。
この3つのお話、絶妙にからまりあって現在の日本の「七夕」につながっていると思いませんか?!
乞巧奠(きこうでん)に関しては、中国だけではなく日本でも奈良時代からこの織女星にあやかれるようにと貴族社会の中で星祭りが催されていたといいます。
昔の人は星もよく見ていたのですね。
このような由来を知ると七夕にいっそう親しみがもてるようになりますね。
日本の七夕文化っていろんな文化が合わさったものやってんなぁ~
良えとこどりやな!