8月になると、
お中元の季節
がやってきます。
お中元という言葉は、本来中国から伝わった贖罪の儀式のひとつを指しましたが、日本では江戸時代頃、お盆の行事とセットの風習として根付きました。
お盆に祖先を供養する、その前に、商い先やお世話になった人に、感謝とお礼の印として贈り物をしておく習慣が「お中元」です。
戦後の日本でも
- 仲人さん
- 会社の上司
- 恩師
などにお中元をする習慣が続いていました。
時代と共に変わる習慣とその意味
現代のお中元は、ほとんどが親戚づきあいの儀礼
元来、お中元は、普段からお世話になっていることへのお礼ですから、身近な目上の人に贈るもので、贈られた側はお礼の品物を送り返す必要はありませんでした。
が、現在お中元を買う人にアンケートを取ると、贈り先の1~3位
- 親
- 親戚
- 兄弟
となっており、親戚づきあいの挨拶が主目的となっています。
そして、贈られたほうは必ずお返しを贈ることも、暗黙の約束になっているそうです。
子の嫁からお中元欲しい、が今の常識?
どこまでの範囲の親戚に贈るのかは、地域や家庭や人により様々です。
夫の親には贈っても妻の親には贈らない、という家庭もあれば、親だけでなく独立した兄弟にも贈っている人もいます。
統計によると、未婚の子どもからは、(親元から独立しても)欲しいと思わないが、結婚したらその配偶者(もしくはその実家)が義父母あてに
贈るのが礼儀
という意見が多いそうです。
夫の実家に贈る妻のアンケートでは、
というケースも少なくありません。
普段お世話になっている人へのお礼、ではなく、普段離れていて付き合いが少ない分贈り物くらいすべき、という考え方のようです。
価値観の違いが双方をイラつかせる
儀礼的な習慣は廃そう、という考え方
バブルがはじけて世の中不景気のどん底をさまよっていた間に、エコとか断捨離という価値観がクローズアップされるようになり、関連して、
という意見も提唱されました。
が、お中元やお歳暮に関しては、それで節約されたのは、上司や恩師へなど、本当に一方的に助けたり、お世話したり、おごってくれた人たちへの感謝の贈り物でした。
そういう人は、お礼なんかもらわなくても不満に思いませんから。
逆に、お返しが届かないと不服に感じるような儀礼のほうが、お中元として生き残ってしまった、というのは皮肉です。
実際は贈り物の儀礼を負担に思っている人もいる
ネットの質問サイトを見ていると、給料が下がりカツカツで生活する都会の若い夫婦などから、親や兄弟との間の盆暮れの贈答のやり取りが生活を圧迫している、という悩みがたまにあります。
生活苦までいかずとも、精神的に負担なのでやめたい、という相談は少なくありません。
それに対し、
というコメントをする人もいます。
と考える人は意外にいっぱいいるようです。
挨拶のための贈り物推奨派の絶対視感の強さ
一方
という意見も多く見られます。
止めてもいいという人たちの多くが
という比較論として述べているのに、推奨派の多くは世代を問わずそれが常識という絶対論が強く、逆に負担に思う質問者にイラついている人もいます。
実際は庶民の贈り物習慣は昔からの常識ではなく、高度成長期の前、三丁目の夕日時代以前は、身内で贈り物のやりとりができた人なんて、一部の富裕層だけだったんですけどね。
相手を思いやる気持ちを届ける、ものじゃない、今のお中元
今の若い夫婦の親は、高度経済成長期に育ち、バブル時代に20代30代を過ごし、年功序列に給料が上がった人生を生きてきました。
そのまた親は、戦中戦後の貧しさを知っているがゆえ、自分の子供たちにはできるだけ何でも与え、詰め込んだ教育ママ世代です。
ジャブジャブ与えられ、世の中はどんどん豊かになり、働けば生活安定して当り前だった親は、親戚づきあいにお金を使うことにためらいは少なかったのでしょう。
一方失われた20年にゆとりで育ち、雇用も給料も安定せず、先行き不安な今の若い世代は、親にだけはいろいろ与えられてきました。
そのため、自分はカツカツなのに、子どもに貧乏させるのはかわいそうだからと、結婚も出産も消極的です。
そんな彼らが、欲しいものをもらうとは限らない儀礼の贈答はもったいない、と感じる気持ちも、まあ理解できます。
と
双方を互いに思いやる気持ちを持てば、イラッの程度も違ってくるのに、なかなかそうはいかないようです。
感謝の気持ちを届けるはずのお中元が、価値観の異なる人たちを対立させる、罪な習慣になってしまったものです。
んー、難しいところやなぁ~
まさケロンは、お世話になった人とか感謝したい人には、自分の事は置いといて感謝を伝えたほうが良えと思うで!