紙とデータ
紙の起源
唐突ですが紙のはなしです。紙の起源は約5000年前の古代エジプトで使用されていた「パピルス」だという説があります。
もしこれが事実なら、紙という発明品はとても長い歴史の中で生き残ってきたアイテムだといえます。
5000年前のエジプトで使用されていた物が、現在でも現役で活躍しているのですから。
ですが、現在においては紙がメインで使われていた分野において、デジタルデータが取って代わろうとしています。
紙は淘汰されてしまうのか
例えば本。電子書籍については今さら説明するまでもないでしょう。
日本においては思ったより普及が遅れているようですが、最近は新刊として書店に並ぶと同時に、電子書籍としてもリリースされる例が多く見られます。
少し前までは電子書籍としてリリースされるまでは、タイムラグがありました。少しずつではありますが、電子書籍もその立ち位置を確かな物にしているような気がします。
また、私たちの生活に密着している給与明細も電子化されつつあります。紙で配布されるのではなく、Web上から確認できる。必要であれば都度印刷すればよい。企業によってはそのように制度を変えているところがあるようです。
パソコンの発明と信じられないほど急速な普及、そして誰も予想できなかったスマートフォンの爆発的な進化と普及で5000年以上も続いた紙は淘汰されその役割を終えてしまうのでしょうか?
iPad卒業証書
卒業証書までデジタルデータ化
東京・多摩市愛和小学校で8人の卒業生に贈られた卒業証書が話題となりメディアに取り上げられました。
「iPad卒業証書」と名付けられたこの卒業証書は従来の紙ではなく、データとしてiPadに収録された状態で卒業生に手渡されました。
贈られたiPadには卒業証書のほかに
- 「クラスメート」
- 「担任」
- 「在校生」
- 「職員室」
といったアイコンが並び、開くと直筆メッセージが閲覧できるそうです。
また
- 6年間の学校行事の写真
- 校歌
- 身長・体重の成長データ
も収録され、卒業アルバムのような役割も果たしています。
未来の自分に向けたタイムカプセルメッセージが3つ収録されていて、それぞれ3年後・6年後・12年後でないと開くことが出来ないようにもなっています。
もともと愛和小学校では授業にiPadや3Dプリンタを活用していたそうです。
ですから子供たちにとってはこういったデバイスは身近な物だったといえます。
卒業式では校長から卒業生一人ひとりにiPadが手渡されたということです。
反対派の考え方としては…
このニュースについては賛否両論ありますが、反対を唱える人の意見は以下の2つに分けることが出来るようです。
- 卒業証書は伝統に乗っ取り、紙で渡すべきである。
- iPadが3年後、6年後、12年後に果たして現役の機器として活用できるのかどうか疑問である。だからタイムカプセルメッセージが閲覧出来ない可能性が高い。
2つともとても自然な考え方です。
1番目に関しては、どうでしょうか?
私事ですが、ちょっと例を挙げて説明しましょう。
筆者の結婚式での引き出物の話。
妻と話し合って引き出物はカタログにしました。
物を直接渡すのではなく、参列者にはカタログを渡して、その中から好きな物を選択してもらうという方法です。
引き菓子は配りましたが、このカタログ方式であれば参列者が帰路でかさばる荷物に煩わされることがないのが利点だと思って選択しました。
ところが、双方の両親、特に父親があまり賛成してくれませんでした。
彼らからすると参列者にはたくさん品物を渡したい、それが「本来の引き出物の姿」であり、確かに荷物にはなってしまうけれど、それが参列者に対するお返しの正しい姿である、という考えが根底にあったようです。
最終的にはカタログで渋々納得はしてもらいました。
iPad卒業証書にも同じことがいえると思います。
卒業証書授与という伝統的な行事で、その象徴でもある卒業証書が紙ではなくデジタルデータという得体の知れないものであってはいけない、ということなのだと思います。
これに関しては答えは出ないでしょう。
ただ筆者の考えでは、「伝統というものは形を変えて受け継がれていっても良いのではないか」ということです。
むしろこれから先も伝統として受け継がれていく必要があるのなら時代に合わせて変化、いえ時代に順応させていく必要があるとさえ思っています。
だから、筆者個人はデジタルデータとしての卒業証書は「賛成」です。
わくわく感
次に2番目の意見。
これまで主流だったものが、より新しい技術によって淘汰されていくという指摘です。
技術として古くなり、使用することが出来なくなった例はたくさんあります。
- 8ミリフィルムを使った家庭用ムービーカメラ
- ベータ方式のビデオ
- フイルム式のスチールカメラ
- レーザーディスク
- フロッピーディスク
- MDプレーヤー
などなど。
もしベータ方式で録画したビデオを持っていてそれを見たいのであれば、今現在、まったく不可能ではないけれど、かなり苦労することでしょう。
「iPad卒業証書」、とくにタイムカプセルデータも同じ運命をたどる可能性がある、ということです。
iPadは現在、現役の機器です。ですが、この先はどうなるか分からない。
とどまるところを知らなかったパソコンが、まさか携帯電話が進化したスマートフォンにその座を奪われることになろうとは誰も考えられませんでしたから。
でも、この考え方、筆者は違和感を感じます。もっともな話であり、きちんと現実に目を向けているのは認めます。
こういう視点が必要な場合もある。でもちょっと寂しい意見のような気がするのです。
「サンタクロースなんてこの世にはいないんだ」
って言い切っているみたいな感じがします。
ちょっと考えてみましょう。
あなたが、愛和小学校の卒業生で「iPad卒業証書」を贈られたとします。
手元のiPadのホーム画面には、
- 「2018」
- 「2021」
- 「2027」
というアイコンが表示されています。
それぞれを開くと自分が自分に贈ったメッセージが閲覧できますが、「その年にならないと」見ることが出来ません。
わくわくしてきませんか?
少なくとも、
「この年にiPadが時代遅れになっている可能性がある」
とは考えないのではないでしょうか?
この「わくわく」を大事にしたいのです。そしてそれを実現させた全ての人たちに拍手を送りたいと思うのです。
もし何年か経過し、
「現代の技術を使ってiPadのタイムカプセルデータを復元に成功」
なんてニュースが報道されたら、とても素晴らしいことだと思います。
みなさんはどう思いましたか?
まさケロンも「賛成」派。iPad卒業証書には、紙の卒業証書にはないワクワクがあるよね。