毎月の生まれ月の花「誕生花」を定めて提唱している花屋業界の人たちがいます。プレゼントの花を選びやすくするサービスであり、販売促進戦略の一端にもなっています。
花を日常的に贈り合う習慣が古くからある西洋社会では、毎月の誕生花は比較的ポピュラーです。各国の誕生花の一覧を見ると、季節ごとに店頭をにぎわしている旬の人気の花が並んでいます。
イギリス、フランス、オランダ、アメリカなど、多くの西洋諸国では、
1月の誕生花は「カーネーション」
になっています。
日本では、従来、福寿草や水仙を推奨している花屋さんが多かったのですが、最近、西洋を真似て「カーネーション」を押す花屋さんが増えてきました。
“母の日の花”という印象が強いですが、自然の中でのカーネーションの旬は春です。園芸では、秋植え、秋咲きに育てることもありますが、いずれにしても冬季の花ではありません。
なぜ1月の花なのでしょうか?
1年の先頭を切るのに相応しい花
人類との付き合いが長い花
カーネーションは、地中海沿岸から西アジアにかけての地域が原産で、古代文明の頃から園芸種として、または香料の原料として栽培されてきました。人類との関わりは長く、神話や伝承もたくさん残る、最古の栽培種のひとつです。
原種の花は、ピンク系の濃淡の無地の花でしたが、太古から園芸種として育種が進み、中世には赤、黄、白、緑、絞りなど、多彩な花色が生まれていました。17世紀には既にヨーロッパだけで300種程の園芸種があり、当時まだ改良が進んでいなかったバラよりも、ゴージャスな贈答用の花束としては人気がありました。
神々に捧げられた花
暑さにも寒さにも強く、硬い緑の茎の先端に、ギザギザの淵でフリル状の花びらが八重に咲く姿はとても華やかで力強く、多くの文化で特別な意味を持つ花として愛されました。
古代ギリシャでは神に捧げる冠を飾る花でした。英語の「carnation」は、「coronation(戴冠式)」からきたという説があります。
イスラム世界では、アラベスク(神殿を飾るデザイン模様)の意匠にカーネーションがたくさん使われています。
古代社会で神を称える行いにカーネーションが用いられていたため、属名の学名「Dianthus」は、ラテン語で
「神の花」
「神聖な花」
という意味の造語になっています。
聖母マリアの涙から生まれた花
また、キリスト教には、イエスが処刑された時に流された聖母マリアの涙が地面に落ち、そこから生えて咲いた花がカーネーションだった、という伝承があります。
これにちなみ、ヨーロッパでは、カーネーションは母性や女性、純粋な愛を象徴する花となっています。
中世の宗教画では、マリアの足元にカーネーションが描かれることが多くありました。伝承では、カーネーションの色は明言されておらず、絵画の花は赤や白など様々です。が、西洋では、原種の色だったピンクの花の花言葉に、マリアの伝承が凝縮されています。
ピンクのカーネーションの花言葉の例
『a mother’s love(母の愛)』(英)
『vrouwelijke liefde(女性の愛)』(蘭)
『l’amour éternel de la mère(母の永遠の愛)』(仏)
オランダなどでは、ピンクの花が最も強い神聖な力を持つといわれています。母の日発祥のアメリカでも、プレゼントの主流は赤ではなくピンクの花です。
12か月の先頭の誕生花
そんなこんな、神聖で純粋な意味合いを持つカーネーションは、西洋では、他の花とは何か一味違う卓越性(英語ではdistinctionと表現されます)を表していると見られています。いくつかの言語ではカーネーション全般の花言葉が『卓越』です。
誕生花が選ばれる時、季節を無視しても、すべての花の先頭にカーネーションが持ってこられたのは、その卓越性の意味合いが影響しています。西洋文化では、カーネーションはちょっと特別な花だったようです。
日本のカーネーションの歴史
一年を通じてある花
日本でも西洋でも、現在も園芸種としての生産量が、バラや菊などと並んでトップクラスのカーネーションは、超人気の切り花です。ほとんどが温室栽培されているので、1年中出回っています。1月のウリの花として押しても、供給が足りなくなったりはしません。
母の日の花
といっても、日本ではやはり「母の日」がある5月が最も流通量が増えます。
母の日が国の記念日となった始まりはアメリカです。母に感謝を示す年中行事は世界各地にありましたが、これがきっかけで、20世紀に「母の日」の記念日制定がいろいろな国で進みました。ただし、祝い方や贈る花は各国の習慣に即した形の母の日になりました。
日本の母の日は、アメリカから大正時代に伝わり、戦後広まりました。カーネーションの習慣もそっくり伝わったのは、日本と韓国と台湾だけです。
日本のカーネーションの父
花そのものは、江戸時代や明治期にも数回伝わっていましたが、なかなか根付きませんでした。栽培され流通するようになったのは、やはり母の日が伝わった頃です。
土倉龍次郎という園芸家が、日本オリジナル品種の育種に成功し、以後日本にも商業栽培が広まっていきました。龍次郎は、「日本のカーネーションの父」と呼ばれています。
母の日のカーネーションが世界共通の習慣じゃなく、母の愛の象徴は赤じゃなくてピンクの花が世界の常識だったのは、日本人にはちょっと意外な真実でしたね。
カーネーション、お馴染みすぎてちゃんと花を見れてなかったんだけど、すごく美しいよね。「神聖な花」っていうのもわかる気がする。