ちょっと改まった手紙の書き出しには、
時候の挨拶
っていうのを書くのが定番らしいです。
最近は、手紙より、ビジネスメールや商店のちらしのお客様あての文の冒頭で見ることの方が多いかもしれません。
桜が散る頃になると、
惜春の候
っていうのをよく見ます。
せきしゅんのこうと読むそうです。
「春を惜しむ」って意味だそうです。
春を惜しむってどういう感覚?
春と秋は惜しむけれど、惜夏・惜冬という言葉はない
ちなみに、惜春の候と同じく、秋を惜しむという挨拶で惜秋の候というのも使われています。
が、夏と冬に関しては、そもそも惜夏・惜冬という言葉がないそうです。
春や秋より夏や冬が好きな人も多いでしょうし、子どもたちは夏休みが終わる時のほうが、春の終わりよりよほど、感慨深い思いを抱いていると思いますけど・・・・
なぜ日本人は春と秋を惜しむのでしょう?
春が終わると寂しいのか?
「惜しむ」ということは、何かが終わったり無くなったりすることを残念に思うことですから、悲しみや寂しさを表すのでしょうか?
春が終わると寂しくなる人って、そんなにいるものなんですか?
新人さんは確かに5月病になる頃ですが、一般的にはこれから太陽の季節の夏だーっ!と思うと、テンション上がる人の方が多いイメージもあります。
それって、冷暖房に不自由しない時代の人の感覚?
農耕民族だった日本人にとっては、暑い夏も、寒い冬も、野良仕事をして過ごすには確かに厳しい季節です。
一番心地よく活動的に過ごせる時季(しかも短い期間)を有難く思う気持ちが強かった、というのはなんとなく理解できますね。
惜春の意味はそれだけじゃない
しかし、実りの季節の秋の終りを惜しむ気持ちと春のそれとでは、なんだか微妙に違うような感じです。
いろいろ検索すると
- 季節にこだわらず
- 一番いい時期
- 穏やかで平和に過ごせる時間を過ぎ
- 煩雑な現実に向き合わないといけなくなる時
の心情を惜春と表現する文学作品や歌がたくさん出てきます。
時には若さと勢いで闇雲に日々を過ごした「青春時代」の終りを儚む表現にもなっています。
「惜秋」は寂しさのイメージですが、「惜春」はどうやら「痛さ」とか「切なさ」とか、そんな儚いものにすがりたいような気持も混ざっている表現のようです。
う~ん、深いですね。
四季の移ろいを愛でる文化から生まれた言葉
外国人に説明するのは難しそう
「惜春」を英訳すると
to lament the end of spring
となるそうです。
ですが、そんな言葉が出てくる英語の文章なんて、検索してもほとんど出てきません。
欧米人はわざわざ取り立てて「春を惜しむ」ことを話題にはしないってことなんでしょう。
アメリカ人に
って聞かれても、その独特の心情を説明するのは難しそうです。
惜春はもともと漢詩で使われる表現だったそうですから、東洋的な感覚なのかもしれません。
季節に敏感で、自然に畏敬の念を抱く日本人
日本は古来から八百万(やおよろず)の神を信心してきました。
自然に対する恐れとその恩恵に感謝する気持ちが代々育まれてきた民族のようです。
そういう気持ちのことを畏敬の念と言うそうです。
目に見えない壮大な力のようなものを感じて、それに包まれて生かされていると感じてきたのが、日本人なのかもしれません。
だからこそ、自然の季節の移ろいひとつひとつに敏感で、いちいち深く思いを馳せてしまうのでしょう。
惜春は、自然を愛し、四季の風物を大事に思う文化から生まれた言葉といえそうです。
テクノロジーの発達した現代、自然の変化に無頓着でも生きるのに支障はなく、物理的な生産・消費活動に追われる毎日、春を惜しむ暇などない人もたくさんいるでしょう。
「惜しむ」という気持ちは自然に湧いてくる感情ですから、意識してするっていうのも変ですが、時にはちょっと立ち止まって、春を惜しんでみると、眠っていた遺伝子を刺激できるかもしれませんね。
「惜春の候」って結構深い意味があってなぁ~
なんか日本人らしくてええな!