5月28日は、
「国際アムネスティ記念日」です。
世界150の国と地域に300万人以上のメンバーを有するアムネスティ・インターナショナルは、世界最大の国際人権NGO(非政府組織)です。
すべての人々の人権が守られ、誰もが紛争や貧困、拷問、差別などの人権侵害で苦しむことのない世界の実現を目指して活動しています。
人権とは、すべての人が生れながらに持っている普遍的な権利です。現在では1948年の国連総会で採択された世界人権宣言に謳われた内容が、人権の考え方の基準になっています。
世界人権宣言とは何?
近代の人権はすべての人に平等にあるものではなかった
人類が
「人権」
という意識を持つようになったのは、近代以降です。18世紀末に起きた市民革命の結果生まれた考え方です。19世紀以降、ヨーロッパやアメリカで、人権宣言や人権を明記した憲法が次々作られました。
しかし、それによって保障された人権は、ごく一部の既得権者たちのものだけでした。
性差別や人種差別はまだまだ正当化されていました。
第二次世界大戦の反省の上に生まれた世界人権宣言
20世紀初頭の戦争では、それまでになく一般市民が無差別大量に殺されました。
世界は国際紛争を暴力で解決することの悲惨さを反省して、
「国際連合」
を作りました。
国連では、人権の保障が一部の人間に限られた国内法を放置したことが、虐殺や戦争に繋がってしまったと、認めました。
そうして、世界平和の実現のために、各国が協力してすべての人の人権を守る努力することが必要と謳う世界人権宣言が作られました。
理想を実現するための国際ルール 人権条約
世界人権宣言で示された理想を具体的に実現するために、いろいろな
「人権条約」
が作られました。
批准国はそこに定められた内容に沿って国内の法律や制度を整備しないといけません。
実は日本は条約のすべては批准していません。そして批准しているものについても、実現の努力が足りていないと判断され、いろいろな勧告を受けてきました。
日本の文化と人権
日本が擁護するのに消極的な人権
日本国憲法では、国は締結している条約を
誠実に順守する義務がある
と規定しています。
が、人権条約については、順守に消極的な部分が多くあります。
国連が行う定期的な審査の際に、多くの勧告を受けています。
最も多いのが「女性差別」に関する問題点です。
男女不平等な状態はなかなか改善されません。
また、冤罪を生みやすい捜査や裁判のしくみ、
- 先住民
- 部落
- 難民
- 在日外国人
への差別問題、人種差別を禁止する法や教育の不十分な点、歴史認識問題
などについて是正を求められています。
国内に独立した人権機関がないことも繰り返し問題視されています。
アジア的人権論に近い日本
世界人権宣言では、人権は普遍的なものと定めていますが、1993年、アジアのいくつかの諸国が
と強く主張し、
という宣言を採択してしまいました。
彼らは
と主張します。
日本はこの宣言に加わっていませんが、女性差別や人種差別に対する日本政府の見解は
というスタンスを強く感じます。
歴史認識についても
というニュアンスの発言を政治家が行っています。
90年代の小泉政権以降、
「個人より集団」
というプレッシャーも社会に強まっています。
文化相対主義の落とし穴
という考え方を
「文化相対主義」
と言います。
尊重というと綺麗な言い方ですが、自文化に対する外からの批判を拒絶する態度と紙一重です。
女性差別撤廃条約では、性別役割分担意識の是正を謳っていますが、日本では
『男らしさ、女らしさを大事にする』
という価値観が今も高く評価されます。
それは生き方の自由のようにも聞こえますが、その考え方が労働の男女不平等や独身者と既婚者の不公正に繋がっている、という構造的問題を見えなくさせてしまっているのも事実です。
歴史認識の違いについても、自国の主張のみに固執し、他国を否定するだけでは、問題解決に繋がりません。
人種差別の教育がされず、ヘイトスピーチが表現の自由という主張を国が放置していることも、国際社会ではなかなか理解してもらえません。
世界には様々違う価値観がありますが、みんなが平和に共生するためには、すべての人の基本的人権が普遍的なものとして尊重されることが必要になってきます。
異なる価値観や利権のなかで普遍的なものを定めるためには、対話が欠かせません。
個人でも国でも、自分らしさを大切にしたいならば、異なる他者と敵対するのではなく、対話を深めることが必須です。
そのためのコミュニケーション力をつけることこそが、今求められているのではないでしょうか。
話しあえば解決出来る事やと思うけどなぁ~
やっぱりコミュニケーション能力があんまし無いんかな?