早いものでもうもうすぐ6月。
梅雨
が始まっている所もまだの所も、一様に蒸し暑さを感じる季節となってきました。
制服のあるお仕事や学生さんたちは、6月1日が冬服と夏服の切り替え基準日、いわゆる
衣替え
ですね。
実際は数日~数週間の移行期間(冬服でも夏服でも個人で合う方を選べる期間)がある所が多いようですが、一斉に夏(冬)用の服に全員が変えるようルール化されているのは、日本独特の習慣のようです。
暑い寒いの感覚には個人差があるのに、なぜ皆同じ格好?
季節感にこだわるドレスコード
高級レストランやクラッシックコンサートなどはフォーマルな格好じゃないと入れないのが常識、という外国のほうが
と思っている日本人は多いです。
が、どうも日本在住の外国人からは、
という日本人の季節にこだわる感覚が、おせっかいなドレスコードだと思われているようです。
衣替えという言葉もない国が多く、
だと解釈・解説している“ハウツー”記事を見ることも多いです。
衣服は暑さ寒さを調整するためのもの
個人主義が確立している欧米諸国などでは、それぞれ暑い寒いの個人差に合わせた格好をするのが合理的のようです。
制服を揃える必要のある職業でも、袖の長さや上着を着る着ないはフォーマルコードに反しない限りは、個人の自由である場合が多いです。
ましてや私服については、11月に半袖のワイシャツを着ていても、6月にニットを着ていても、失礼のない服装ならば他人がとやかく言う問題ではありません。
着物の柄にまで季節感の縛りがある日本は、とても不思議な気がするようです。
日本の衣替えの歴史
始まりは宮中の季節の行事
日本の着物には、裏地のあるなしで、
袷[あわせ]
と
単衣[ひとえ]
の2種類があります。
寒い時季は袷の間に綿を入れて、寒さが緩むとそれを抜きました。
盛夏の時季は、単衣の生地が更に
- 薄い絽
- 紗
- 麻
などのうすものになりました。
綿入れ・綿抜きの仕立て直しの時季は結構な作業ですから、季節の風物詩のようだったと思われます。
平安時代、宮中でこの仕立て直しの期日を4月1日・10月1日と定めるようになったのが、衣替えの始まりと言われます。
武家や軍人の規律を揃えるためのドレスコード
武士の時代に入り、封建主義に則った武将が各地の勢力を分断するようになると、軍団としての武勇を威嚇的に表現するため、装束の統一規律意識が高まります。
戦国の乱世が終わって江戸時代になると、家来の制服管理も進み、袷と単衣(この時代は帷子[かたびら]と呼ばれました)の切り替え期日も定められ、年4回の衣替えとなりました。
明治になり、洋服が役人や軍人・警察官の制服になると、夏服と冬服の入替え時期を6月1日・10月1日と政府が制定しました。
これが、現在の官公庁・企業・学校の制服のしきたりとして継続しています。
着物マナーとして残る季節感のお約束
封建主義の中で確立していった期日指定なので、確かに
集団秩序を重視する文化性
の側面が強いかもしれません。
一方、着物のマナーとして今も残る生地や色柄などのしきたりを見ると、秩序というより、やはり季節感にこだわる日本人の感性を強く感じられはしないでしょうか。
長じゅばんや帯揚げ・帯締め、半衿の生地なども季節に合わせ、浴衣の柄などは季節を先取りしたものを選ぶことが、まさに粋なわけです。
抑圧的規制というより、積極的おしゃれ
着物の話でいうと、長じゅばんの無双仕立て(袖だけ袷でみごろは単衣)などは、見える所のフォーマル性は意識しつつ、暑くならないよう、実に合理的に作られています。
という日本人の感覚は、抑圧的な集団規制というより、むしろおしゃれにうるさい特質を表わしているとも取れないでしょうか。
日本人、服装に関しては、自己主張も自己実現意欲も豊かな国民なんですよ、実は。
原宿のかわいいファッションが世界で注目されているじゃないですか。
とはいえ、衣替えの期日指定が北海道や沖縄まで皆同じなのは、中央の傲慢な規制である面も否めません。
クールビズでエコ!
するだけでなく、確かに一律規制の衣替えを個人差に応じて自由に期日選択できるようにしてほしいガイジンさんの気持ちもわかるかなあ・・・・。
スーツとか、制服なんかは、衣替えの時期が決まってて良えと思うけどなぁ~
でも、さすがに私服ぐらいは自分で決めたいやんな。