ライフスタイル

「東京に飽きた」と思う今日この頃。もっと自然を感じたい

Written by 言祝(kotoho)

首都、東京

スピードと時間、利益の都市

今回は

「東京」

について考えてみたいと思います。

というのは先日、私用で渋谷に行きました。渋谷は筆者の大嫌いな街ベストワンです。

大好きなアーティストのライヴが開催されたので仕方なく行きました。

実に10年ぶりの渋谷。平日だったのですが相変わらず人が多くて辟易(へきえき)しました。

渋谷が嫌いな理由は

人が多いから。

場所にもよりますがとにかく人でごった返していて、自分の進みたい方向に行くことが出来ないぐらいです。

また、人の歩くスピードの速さにもついていけません。

すこしつづ渋谷から距離を置くようになり、いつしかこの街を避けるようになっていました。

渋谷も含む東京はいうまでもなく日本の首都です。

筆者は海外をあまり訪れた経験がないので、外国と比較できません。

でも40年以上東京とその近郊で生活し続けて、最近感じることがあるのです。

東京に飽きました。いや、「疲れた」といってもいいかもしれません。

分刻みのスピードと利益を生む東京の動きについていけなくなってきたと感じるのです。

筆者は東京生まれです。

俗にいう「下町」で育ちました。

中学一年のとき東京近郊に引っ越し、それ以来ずっとそこに住んでいます。

電車で一時間以内で東京にいくことができる場所です。

そんな環境なので職場はほとんど東京でした。いまも東京で働いています。

電車は遅延なく運行するのが当たり前の生活をずっと続けてきました。

5分でも遅れれば謝罪のアナウンスが流れます。

これまでそれは当たり前のことと受け止めてきました。

電車の遅延で遅刻したらたまったものではありません。

電車は定刻通り運行するのが当たり前、遅れが生じたら謝罪するのが当然だと考えていました。

世界でも一、二を争うぐらい時間に正確な電車に乗って会社に到着すると、今度は仕事が待っています。

職場では仕事に対して、スピードと結果を求められます。

それも当たり前だと思ってずっと働いていました。

何時間もかければ素人だって作業が出来ます。

でもそこは給料をもらっているのですから、スピードを要求されるわけです。

また結果、利益といい変えてもいいかもしれませんが、これも重要です。

会社に利益をもたらすことが出来なければ、給料は貰えない。会社が儲かることで我々の給料が発生するのだ、そう信じて疑いもしませんでした。

癒しがない

そんな生活はやっぱり心身ともにつかれます。

休みの日にゴロゴロしていれば身体のつかれはあるていど癒すことが出来るでしょう。

問題は心のつかれ。これは本人も気がつかないぐらいのレベルで少しづつ、微妙な量で蓄積されていくのです。

これも癒される必要がありますが、東京ではそういう環境が極端に少ないと感じるのです。

東京は首都だけあって『娯楽環境』は充実しています。

有名な画家の展覧会はかならず東京で開催されるし、アーティストの全国ツアーが東京で開催されないことはあり得ないです。

日本最大級のスクリーンの映画館があるのは東京だし、他にも大きなイベントは東京で開催されるのが当たり前です。

これらを利用すれば心の癒しが得られると考えることも出来ますが、歳のせいか最近、こういった娯楽はまがい物のように思えるのです。

かなり特殊な考えなので共感して貰えないと思うのですが、東京で得られる娯楽って人工のものであって、人間を生き物として考えた場合、人工のものでは本当の癒しは期待できないんじゃないかって思うんです。

たとえば、映画を観る。すごく感動的な映画だった。何度も涙を流した。心が浄化された。満足して映画館を出る。食事をしよう。でもちょうど昼時なので順番待ちの列が出来ている。

うんざりします。そしてつい先ほどまで映画に感動していたことも忘れて、舌打ちなどしてしまいます。東京で得ることが出来る癒しって即効性はあるけれどすぐ切れてしまうたぐいのものだと思うんですね。

心に利く癒しってこれではダメだと筆者は思います。



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自然に殴られることこそ、最大の癒しなのかも

人間は動物だということを忘れていないか

人間は知能が発達してはいるが動物なんだという意識はとても重要だと思います。

動物は本来、自然の中で生きるものです。筆者の祖父が北関東の山沿いで暮らしていて、最近は会っていないけれど子供の頃は夏休みなどによく遊びに行っていました。

その地域はまだ空気がきれいで、夜になると驚くほど多くの星が見えるんですね。

子供ながらにそのすばらしさに感動したことを覚えています。

自然の美しさに感動できるということは人間が本来は自然のなかで生きるのがふさわしいということを如実に表してはいませんか。

東京にも公園などがあり、自然と親しむことが出来るようにはなっていますが、超高層ビル群の狭間にある公園など本当の自然とはいえないのではないか?

筆者はそう問いかけたいです。

満天の星空もプラネタリウムに行けば体験することが出来ます。

技術の発達で最近のプラネタリウムはすばらしく美しいと聞きます。

でもそれは映写されたものであり、

本物ではない

のです。

子供たちのために

台風や大雪などで交通がマヒし首都圏に大きな影響を及ぼすことがあることは皆さんご存じの通りです。

これって東京に住む人間が自然慣れしていないから起きることではないでしょうか?

雪や大雨に備えるのはもちろん重要なことです。

でも一番問題なのは、そういった自然現象に東京人が親しんでいないことだと筆者は思います。

雪が積もったときはそれにふさわしい歩き方がある、それを多くの人が知っているか知らないかでまた影響の度合いが大きく変わってくる、そんな気がします。

このままでは自然の姿を知らない子供たちが増えてくるのではないでしょうか。

カブトムシは森に住んでいる、という知識はあっても、実際にムシ網片手に森へ行ってカブトムシを取った経験がない、そんな子供が増えていくのは、私見ですが恐ろしく感じます。

まさケロンのひとこと

本物と作り物。知識と体験。こういうのって、どんなに突き詰めていっても同じものにはならないよね。リアルな経験がない子供たちが増えていったとしても、大人になったら気がつくんじゃないかな〜とも思うんだ。案外、子供のときよりも感動するかもしれない!

masakeron-love


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筆者情報

言祝(kotoho)

映画オタク。日課は読書。最近は料理にハマっています。座右の銘は「好奇心を失ったら、そこで終わり」