6月といえば、国産の露地栽培の
さくらんぼ
の旬の季節です。
中でも一番人気は、甘さと酸味のバランスがよく、大きくて色合いも綺麗な
山形産の佐藤錦
です。
ハウスものは4月頃からありますが、高くてなかなか手が出ません。
6月後半から7月初頭にかけての露地ものの旬の時季は、高級品ながら、なんとか一般庶民の手の届く所に、赤い宝石が下りてきてくれるありがたい期間です。
日本のさくらんぼ栽培
幕末にアメリカから渡ってきたさくらんぼ
さくらんぼの原産地はトルコだと言われています。
紀元前に既にヨーロッパの広い地域で栽培されていた、最古の作物の中のひとつです。
20世紀になり、アメリカ大陸に伝わり、日本には黒船以降アメリカ経由で入ってきました。
桜の木になる桃のような果物なので、桜桃と呼ばれました。
今も学術用語としては実のなる桜とその実を指す言葉として「オウトウ」が使われています。
梅雨を乗り越えて山形に根付く
さくらんぼは、実がとてもデリケートな果実です。
つるんとした表面には目に見えない小さな穴がたくさんあいているため、雨に濡れるとそこから水入り実が膨らんで割れてしまいます。
実が大きくなる頃がちょうど梅雨の時期にあたる日本では、ほとんどの地域で収穫前に実がダメになってしまいました。
梅雨が短く、霜害も台風も少ない山形県周辺だけが収穫に成功しました。
その後、官民一体となった努力の結果、山形県での栽培が普及し、生産量も上がっていきました。
現在では技術の開発により県外での栽培もできていますが、とても手間がかかるため、今でも全国生産量の8割弱は山形産となっています。
佐藤さんの思いの結晶として生まれた佐藤錦
佐藤栄助氏の積年の思いの改良
明治時代に普及した品種はすでに複数ありましたが、やはり実の痛みが早く、収穫してもすぐに腐ってしまうため、遠くに出荷することも難しく、無駄もたくさん出ました。
味も酸味がとても強いものでした。
山形県東根市の農家、佐藤栄助氏は、
という思いをずっと募らせていました。
大正元年、さくらんぼに夢を託した佐藤さんは一大決心をし、そこからたゆまぬ努力の品種改良を始めます。
苦節16年の末に生まれた最高品種
佐藤さんは、まず日持ちは悪いが味がまろやかな黄玉と、酸味がつよくて固いが日持ちはいいナポレオンを掛け合わせます。
何年も苦労した末にできた実から種を取り、そこから苗を作って育ちの良いものを選別して移植し、できた実からまたより優れたものを選んで育てる・・・・ということを繰り返しました。
十数年の苦労の末、選び抜かれた最も優れた木を1本に絞って原木とします。
佐藤さんを陰で支えてきた友人で、苗木商を営む岡田東作氏が、これを
佐藤錦
と名付けました。
昭和3年のことでした。
さくらんぼの王様となった佐藤錦
佐藤さんは初め品種名を出羽錦としようとしました。
出羽は山形県の旧名ですね。
しかし、岡田さんは
と押し、それまでにない甘い実であったことから
- 砂糖のように甘い
- 佐藤氏が作った
果実という意味を込めて佐藤錦としたそうです。
岡田さんは苗木商として佐藤錦の苗を進んで広めていきました。
やがて山形県全域にひろがった佐藤錦栽培は、少しずつ出荷量を伸ばし、昭和50年頃からさくらんぼの人気が高まると、一気に全国で有名になります。
見た目が鮮やかで光沢があり、実は弾力があって柔らかいのに果皮が厚いため遠隔地へ傷まずに輸送でき、何よりほどよい酸味を包み込むまろやかな甘味が美味しい佐藤錦は、多くの人に支持され
さくらんぼの王様
と言われるようになりました。
佐藤錦はその後も品種改良が進み、安定した収穫量と人気を今も誇っています。
従来の一粒7~8gのものに加え、近年12~13gの大玉もたくさん作られるようになりました。
元祖佐藤農園は、今も栄作氏の孫、三代目の佐藤清氏に受け継がれ、最高級の美味しさを多くの人に届けています。
さくらんぼの王様って言われるまで、絶え間ない努力があってんやろうなぁ~
ホンマ、佐藤さんと岡田さんはすごい人や!