後2週間ちょっとで7月。
本州ではもうしばらく梅雨が続きますが、季節は着実に夏に向かっています。
真夏の花として有名なムクゲやハイビスカスと同じアオイ科の代表の花
葵
は、掛け軸や屏風の絵柄にもよく描かれている、日本では歴史の長い園芸植物です。
道端や畑のすみ、野原などにもよく自生しており、丁度梅雨の今頃が花の盛りです。
徳川家の家紋「三つ葉葵」はアオイ科とは別の植物
下鴨神社・上賀茂神社の祭礼で使われるのは葉っぱの葵
「葵」と聞くと、
葵の御紋
や京都の
葵まつり
を思い浮かべる人が多いかもしれません。
あのハート型の葉っぱの葵は、「フタバアオイ」という植物で、実はアオイ科ではなくウマノスズクサ科カンアオイ属の草です。
名前の由来は、葉が二枚対になって生えるカンアオイ属であることからきています。
葉が似ている同名異種の植物
が、日本の植物名は、葉の形が似ているために同じ名がつけられたものが少なくなく、端午の節句に飾る葉っぱの菖蒲と園芸植物の花菖蒲が全然違う植物であることは有名です。
カンアオイは日本の野山に自生する草ですが、その葉の形が葵の葉と似ており、常緑樹で冬にも茂るため
寒葵
となったそうです。
後から来た花の葵が先に「アオイ」と名がついた?
花の葵は中国からきた外来種
では、花の葵のほうの名前の由来は何でしょうか?
一般に「葵」と呼ばれているのは正確には
タチアオイ
という花です。
花茎が垂直にまっすぐ伸びるので立葵です。
中国では生薬として用いられ、室町時代に薬用植物として日本に持ち込まれました。
漢名は蜀葵と言います。
それ以前、遣隋使の頃に同じくアオイ科の「フユアオイ」がやはり中国から渡来しています。
こちらの漢名がズバリ「葵」です。
葉が太陽の方に向くので、和名はあふひ(旧仮名遣い)となりました。
万葉集にある「葵」はフユアオイのことです。
カンアオイは葵が渡来する前はフロフキだった?
薬草のタチアオイは、日本で園芸用に品種改良され、江戸時代に栽培種として広まりました。
「葵」の呼び名も次第にフユアオイからタチアオイを指すようになっていきます。
一方、カンアオイのほうは関東から九州に生息する在来の野草です。
紀元前210年頃、秦の始皇帝の命で不老不死の薬草を探していた徐福(じょふく)という人が、佐賀県の金立山の山奥で仙人に出会ったという伝説が残っています。
その仙人に教えられた霊薬がカンアオイを釜で煎じたものでした。
当時は
フロフキ(不老不死の意)
と呼ばれたそうです。
花の葵が広まった後「カンアオイ」に名が変わったのでしょうか?
葵の葉っぱの名前の由来の謎
カンアオイとフユアオイ・タチアオイは似ていない
カンアオイは今も薬用植物として栽培され、漢方の生薬に使われています。
そんな貴重な薬草として仙人伝説まである植物が、700年以上の後に葉の形が似ているというたけで、簡単に名前が覆ってしまうものなのでしょうか。
そもそも、
軸の付き方は似ていますが、淵はどちらかというとギザギザして手の形のようです。
名の由来が、どうもしっくりこない感じです。
上賀茂神社に伝わる葵まつりの伝説
ここで、葵まつりの由来伝説を見てみます。
京都洛北を治めていた賀茂氏の玉依姫が、賀茂川で神の矢を拾ったことで身ごもり、男の子(若宮)を産みます。
すくすく育った若宮は、成人を祝う宴の時、父である天の雷神のもとへ帰って行きます。
母玉依姫は、わが子との再会を祈願し続けました。
ある日夢に若宮が出てきて
と祭事の支度について告げます。
その通りに祭事を行った所、近くの山に賀茂別雷神(賀茂氏は若宮をこう名付けて上賀茂神社に祭ります)が降臨したそうです。
祭事の条件の中に
葵と桂の飾り
がありました。
それが、賀茂まつり(葵まつり)の始まりです。
“あふひ”の語源は人を結ぶ縁のこと
賀茂別雷神の伝説から、あふひの「ひ」は生命力や神霊を指し、「ひ」にめぐり「あふ」ための導きをしたのが葵である、という語源説がありました。
現在も賀茂神社にとっては、葵は人と超自然なものを結ぶ象徴です。
名前の由来としては、花の葵との関連説よりこちらのほうがなんとなく説得力を感じます。
が、そうなるとフタバアオイがカンアオイよりも先に「葵」の名がついたことになりますが・・・・。
花の葵の語源はわかりやすいです。
が、フタバアオイがなぜあおいなのかは、調べるほどに謎が深まる感じです。
あちこちに書いてある
は、とりあえず怪しいと思ったほうがよさそうです。
もしかしたら、神がかり的な植物なので、人智を超えた何かによって名がついた、のかもしれませんね。
めっちゃややこしい話やなぁ~
とにかく、みんなが葵って言ってるのが正確には、タチアオイって植物なんやね!