湿原風景で有名な尾瀬では、5月末が近づく頃、
水芭蕉の花
が咲き始めます。
水芭蕉が群生している観光地は他にも結構あるのですが、
と歌われるあの歌が有名すぎるため、多くの日本人に水芭蕉=尾瀬というイメージがあるようです。
昭和24年にNHKラジオで流されてすぐ爆発的な人気となり、その後音楽の教科書にも載ることが多かった夏の思い出のお蔭で、尾瀬は観光地としての人気を不動のものにしました。
が、しかし、この歌に感化されて、夏休みに尾瀬に行くと、そこには水芭蕉の花はもうないんですよねぇ・・・・。
水芭蕉は春の花
雪解け直後の芽吹きの季節を知らせる花
水芭蕉は寒さに強い花ですが、乾燥や暑さにはめっぽう弱く、あまり気温が上がらず、湿度の高い場所を好みます。
冬に雪が多く、雪解け水が春にたくさん流れる地はまさにうってつけの場所です。
箱根や秩父などの湿地帯や東北の山岳地帯も、群生地として有名です。
雪解け直後に花をつけるため、雪解け時季の違いにより、花の季節がズレます。
箱根仙石原では3月下旬から4月上旬が開花の時期です。
秩父の見頃は4月中旬から下旬、岩手県の山麓の群生地では4月下旬から5月いっぱいくらいです。
尾瀬は雪が多く夏の短い高原地帯
尾瀬は高山地帯であるため、雪解けが遅く、5月末くらいまで雪が残っています。
見頃の6月は、一般的な感覚だと「夏」の月に当たりますが、尾瀬の気候としては春なんですね。
水芭蕉は春、それも盛りの春ではなく、春の訪れを告げる早春の花、というのが本来のイメージのようです。
水芭蕉の風景がなぜ夏になったのか?
作詞家は尾瀬を見て岩手を思い出す
「夏の思い出」の作詞家江間章子さんは、岩手山の近くで幼少期を過ごしました。
昭和19年の水芭蕉の季節にたまたま尾瀬を訪れた江間さんは、岩手山麓の水芭蕉を思い出し夢心地だったと、後に語っています。
終戦直後、NHKから
という依頼を受け、思い浮かんだ情景がこの時のものだったそうです。
終戦で何もなくなってしまった日本が、未来へ向けて復興していくには、夢と希望が必要・・・そんな時代でした。
江間さんにとっては、終戦直前の最も切迫した世の中を生きていた時にふと見た尾瀬の風景が、よほど美しく希望に満ちた情景に感じたのでしょう。
水芭蕉は夏の季語?!
「夏の思い出」とした理由については、江間さんは
と言っています。
俳句の季語としては、水芭蕉は夏の季語となっており、6月は二十四節気において確かに夏扱いです。
水芭蕉がなぜ夏なのか?
については、論理的にちゃんと説明されたものは、残念ながら見つけられませんでした。
いろいろな解説書によると、歳時記の季語とは、ときどき現実とズレるものがあるそうです。
因みに歌の中で
と歌われているシャクナゲも5月初旬に咲く花ですが、「夏」の季語になっています。
この歌の影響力の大きさから考えると、
という順なら、納得できそうなんですが・・・・
先に季語があったとは何とも不思議な感じです。
もしかしたら、その昔、水芭蕉の白い花のような部分(本当は花じゃなくて葉ですが)は、夏になっても落ちなくて、結実するまで残っていたのでしょうか?
水芭蕉って夏の花じゃ無いんやねぇ~
今が見頃やん!