宇宙 日本のこと 記念日・国民の祝日

宇宙の日、子どもたちの心に本当に夢が膨らむイベントを!

Written by すずき大和

9月12日は

宇宙の日

です。

翌10月には「国際宇宙週間(10/4~10)」があり、この両方を含む一か月間、宇宙開発幹線施設の公開や、子どもたちを対象にした啓発イベントの開催などが行われます。

2010年に、“はやぶさ”が世界で初めて地球重力圏外の天体から表面の物質のサンプルを持ち帰り、世界中が明るく湧いた頃から、日本ではゆる~い宇宙ブームが続いています。

2014年には若田光一さんが4度目の宇宙任務で、日本人初の国際宇宙ステーション(ISS)コマンダー(司令官)を務め、通算の宇宙滞在期間の日本人最長記録を更新して帰って来ました。

世間の目がちょっと宇宙開発に希望を感じているこんな時、せっかく税金を使って開催される宇宙の日関連イベントですから、未来の優秀な宇宙飛行士や輝かしい発見を生み出すことに繋がるような取り組みをぜひ行ってほしいものです。



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20世紀末の日本の宇宙開発

宇宙の日は、国際宇宙年であった1992年に、

科学技術庁(現在の文部科学省)

宇宙科学研究所=ISAS(現在の宇宙航空研究開発機構=JAXA)

が制定した記念日です。

1990年代は、日本の宇宙開発の歴史の中では、宇宙飛行士の育成が進んだ一方、技術の開発は苦境に立っていた時代でした。

文部省と科学技術庁で別々に取り組んでいた宇宙開発

国が威信をかけて税金をつぎ込んで開発を進めていたアメリカやロシアと異なり、日本のロケット開発に最初に取り組んだのは、糸川英夫教授率いる東京大学の研究チームでした。

日本で初めてペンシルロケットの発射実験を行ったのも、初めての衛星「おおすみ」の打ち上げに成功したのも東大の研究所でした。

文部省の管轄だった東大の研究所は、その後1981年に「宇宙科学研究所=ISAS」に改組して、大学の共同利用国立機関となります。

一方で、科学技術庁も東大より遅れて組織を立ち上げ、航空宇宙技術の開発に取り組みます。その後それが「宇宙開発事業団=NASDA」となり、以後、異なる省庁所管の2つの組織は、それぞれに技術開発に取り組みます。

80年代まで、それぞれ異なる方面のロケットや衛星の打ち上げ・開発を進め、国産の衛星もたくさん打ちあがりました。

ロケットの国際競争入札と国際宇宙年

1990年、アメリカが貿易政策「スーパー301条」を適用したため、国内で使う衛星も国際競争入札にしなければならなくなりました。

すぐに民間の商用衛星は安価な米国製ロケットに取って変わられます。

そんな時に迎えた国際宇宙年でした。

国は、日本の宇宙開発への関心と理解を広めようと、広報啓発活動に努めることにします。

秋には日本人初の宇宙飛行士毛利衛さんの宇宙行きが叶い、また世の中はちょっと宇宙に湧きました。

国は毛利さんがスペースシャトルで出発した日を記念して9月12日を「宇宙の日」と定め、以後1993年から毎年イベントを開催するようになりました。

打ち上げ失敗と組織の統合

しかし、毛利さんブームもつかの間、商用衛星の実績をあまり積めない中で開発を行っていた日本は、90年代後半に大型のロケットの新たな開発に取り組みますが、次々と打ち上げに失敗していきます。

NASDAアメリカ航空宇宙局=NASAと提携して、有人宇宙飛行事業のノウハウを学ぶために日本人宇宙飛行士を次々とスペースシャトルに乗せることに成功していきます。

その一方、国産のロケット開発はしばし停滞してしまいます。

JAXAの誕生とロケット技術の向上

行政改革とJAXA

ロケット打ち上げの失敗が続いていた頃、行政改革が進み、文部省と科学技術庁が統合されて文部科学省になりました。

国はさっそく停滞している開発に喝を入れようと、機能の向上や組織の効率化などが期待できる、組織の統合化を一気に進めようとします。

結果ISASとNASDAと、かつての科学技術庁が所管していたもう一つの組織「航空宇宙技術研究所」が統合して

『宇宙航空研究開発機構=JAXA』

となりました。

以降、日本の宇宙開発は一手にJAXAが行うようになっていきます。

JAXAは設立直後、ロケットの打ち上げに一度失敗しました。

しかし、それ以降、ほとんど成功しています。

また、ISSの開発・運用への参加も認められ、日本が作った実験棟「きぼう」も無事仕事を始めています。

宇宙の日の発展

文部科学省は、宇宙の日の子どもたち対象イベントにもテコ入れを始めていました。

宇宙飛行士の講演と、子どもたちの作文・絵画コンテストの表彰を行っていた宇宙の日、新たに小惑星に命名するイベントも始められました。

日本人が発見してまだ命名されていない小惑星に、いくつかの名前の候補の中から、イベントにきた子どもたちの拍手によって選んだ名前が付けられました。

現在の宇宙の日

宇宙基本法の制定

日本は他の国と違い、長い間、衛星の打ち上げは科学衛星や実験衛星、民間用では通信・放送・気象衛星などに限ってきました。

宇宙開発の目的はあくまで平和利用として。

情報収集衛星やミサイル開発に繋がる技術の研究など、軍事利用目的に衛星やロケットの開発・使用は行ってきませんでした。

小泉政権以降、政治の保守化が徐々に進むと、近隣諸国との関係があまりよくない方向に進み始めます。

北朝鮮のミサイル実験が日本海に向けて行われる事態になると、それまで文部科学省がずっと主導してきた宇宙開発の総括権を、内閣総理大臣に移すことなどを定めた宇宙基本法が制定されました(2008年)。

その中では、平和利用に限ってきた宇宙開発への規制を緩め、防衛目的に限るとしながらも、偵察衛星やミサイル防衛などの軍事利用を可能とすることも盛り込まれました。

宇宙の日の予算も減少?

文部科学省主導でやってきた宇宙開発は、新技術の開発と実用化、宇宙科学の研究に重きが置かれてきました。

また、前述のように、商業的な競争力があまり育っておらず、国内の衛星の発注も外国へ流れている状態です。

宇宙基本法は、そんな高い税金を費やして開発された技術などが、あまり経済発展や国民の普段の生活の役にたっていないのではないか、という反省から、内閣総理大臣が先頭にたって国際的な宇宙開発の戦略を推進できるようにしよう、という主旨で定められたものです。

が、実際は、軍事利用のところだけ推進が早いようで、そのための研究に費やされるお金や時間が、大きくなっており、逆に科学の発展や関心の普及のためにかける予算は減ってしまいました。

宇宙の日のイベントも、昨今は子どもたちの作品募集とコンテストの式典がメインとなっています。

小惑星の命名もロケットの工作教室もなくなり、講演も宇宙飛行士ではなく、天文台施設などの職員や教授が担当することが多いようです。

宇宙開発などの科学技術の発展や普及は、地道に継続的に続けられる研究の上に成り立つものであり、すぐに利益に繋がらないこともあるでしょう。

侵略目的でない、防衛目的ならいい。

という軍事利用の名目も、集団的自衛権あり、内閣の判断で憲法解釈変更もあり、の国では制限などないと同じ、と言う専門家もいます。

宇宙の日、できれば子どもたちの未来への夢が膨らむ魅力的なイベントのために予算は使ってほしいものです。

まさケロンのひとこと

平和が一番!今の子どもたちは、いつか本当に宇宙にでられるかも?
まさケロンも行きたいな~!

masakeron-happy


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。