9月といえば、サンマが旬を迎えて美味しくなる季節です。
回遊魚のサンマは、夏の間はオホーツク海付近の冷たい海で過ごし、8月終わり頃、日本近海の海水温が徐々に下がってくるのに伴い、親潮にのって、北から少しずつ南下していきます。
本来なら、9月は北海道から東北沖に大量のサンマがやってくる時季ですが、今年は海水温がまだ温かいのか、いつもよりサンマの到来が遅れているようです。
サンマを獲りに行った船が、サンマがいなくてイワシをたくさん獲って帰ってくることも多い状況です。
品薄のため、いつもよりちょっとお値段高めとなっているようですが、それでもやっぱり秋はサンマが食べたいですね。
サンマがサンマになったわけ
サンマの学名は日本語に由来している
サンマの学名は
サイラ(saira)
と言います。
これは昔の日本でのサンマの呼び名のひとつでした。
主に関西で「サイラ(佐伊羅魚)」と呼ばれていたそうです。
“佐”は補佐の佐で「脇で助ける」という意味の字です。
“伊”は訓読みで「これ」、代名詞を表します。
“羅”は網羅、羅列、羅針盤など、平面を覆うように連なっていることを表わし、着物生地のうすものや網の意味もあります。
大量に群れで回遊している様子が、魚同士が支え合って連なっているように見えたのでしょうか・・・・。
ロシア語も「caйpa(発音するとsaira)」ですが、これも日本名が伝わっていったのだとしたら、関西だけでなく、北方でもこの呼び名が広まっていた時期があったのかもしれませんね。
英語は「saury」、ちょっとsairaに似ています。
サマナ、サワンマからサンマとなった
サンマの古称は他に、「サマナ(狭真魚)」というのがありました。
細長い体型を表わした表現と思われます。
漢字表記としては「青串魚」というものも記録が残っています。
青光りして快活に泳ぐ様は、ぶつかったらそのまま鋭いからだで相手を串刺しにしてしまいそうに見えたのかもしれません。
「サンマ」の呼称は、このサマナが変化していったもの、というのが有力な説です。
もうひとつ有力とされているのが、「サワンマ」から変化していった、という説です。
サワは沢、たくさんという意味です。
マは魚のことなので、「たくさん群れになって泳いでくる魚」ということで、サワンマです。
でもこちらは「沢魚」という表記の記録がないので、口語的に使われていた呼び名だったようです。
これはいかにもマユツバな感じがする説ですが、真相はいかに・・・・・?
さまざまな漢字表記から、秋刀魚へ
秋刀魚と書くようになったのは最近
今では、サンマを漢字で書くと、日本全国ほぼ“秋刀魚”で統一されています。
しかし、この表記が登場したのは、大正時代のことで、比較的新しい言葉です。
それ以前は「サンマ」の呼称は普及していましたが、漢字は定まっていなかったようで、当て字遊びの好きだった夏目漱石先生は、「吾輩は猫である」の中で“三馬”と書いていました。
秋刀魚の表記は、「秋に獲れる刀のような形をした魚」という意味を表わしていると考えられますが、これは、大正10年、作家で詩人の佐藤春夫さんが発表した『秋刀魚の歌』という詩により、全国に広まった表記です。
鰶、秋光魚
明治以前も、前述の青串魚のように、当て字や意味を表わした表記がいくつか確認されています。
江戸時代、サンマが大漁で市場にたくさん入荷すると、庶民はお祭り騒ぎになったそうで、そんなところから、魚へんに祭と書いて
「鰶」
という表記もあったそうです。
この字はもともとはコノシロ(ニシン科の魚)を表わし、現在も訓読みはコノシロとなっています。
秋刀魚と表記されるようになった頃、秋光魚という当て字もありました。「青光りする秋の魚」の意でしょうか・・・。
サンマと日本人のかかわりはとても古く、和名が学名になっているほど、大衆に普及し愛されている秋の味覚ですが、その名称の歴史はいろいろ複雑で奥深いものがあるようです。
温暖化が進み、排他的経済水域の外での乱獲も問題とされている昨今、漁獲量が今後激減する可能性も否定できないと言われますが、日本人の食文化とは切っても切れない繋がりの海洋資源を何とか守っていけるといいですね。
ほほ~う、サンマの名前の由来は
- 学名のサイラ(saira)からきた説
- サマナ、サワンマからサンマとなった説
- サンマのサンはたくさんの“サン”、マはうまいの“マ”で、サンマとは「たくさんの旨い魚」を表わした、という説
があるんだね~!3つ目を考えた人はみんなの人気者だったに違いない!