秋の話題

えびす神?夷?蛭子?恵比寿?その正体は謎の神様

Written by すずき大和

10月20日は、

「えびす講」

です。

えびすとは、七福神でお馴染みのえびす様のこと。

“講”というのは、もともとは仏教に関する言葉ですが、今では様々な信仰グループやそのイベントのことも全て“講”と呼ぶようになりました。

「えびす講」はえびす様を祀るお祭の日です。

全国にあるえびす神社の多くで、この日に神事を行ったり、縁日がたったりします。

ところで、えびす様って漢字で書けますか?

夷、戎、胡、蛭子、恵比須、恵比寿、恵美須・・・・など、神社によっていろいろな表記がされています。

なぜ名前がこんなにたくさんあるのでしょうか?どれが本当のえびす様でしょう?



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えびす様ってほんとは誰?

もともとは外海からやってきた水の神様らしい

えびすといえば、ヱビスビールのラベルの絵を思い浮かべる人も多いかもしれません。

片手に釣竿を持ち、もう一方の手で大きな鯛をかかえている、福耳が極端に目立つ恰幅のいい神様です。

竿と鯛からわかるように、もともとは海からやってきた漁業の神様、水の神様とされていました。

えびす神信仰は、日本の土着信仰のひとつとして、中世初期にはすでに日本各地にありました。

しかし、日本の創設神話としてまとめられていた古事記と日本書紀の中に、えびす神の話は書かれていません。

そのため、えびす様は、大黒様や弁天様のように外国から伝わった神様ではないかと、“夷”や“戎”の字が充てられました。

これは

「異邦のもの」

を意味する字です。

本当は古事記に載っている神様じゃないか?

鎌倉時代頃、神話に描かれた神様のどれかがえびす様のことではないか、と考える人たちが出てきました。

仏教伝来以前の元来の日本の宗教観はとても大らかで、いろいろな宗教が入ってきた後も、日本古来の神様と外来の神様を同一視して信仰することは、よくあったのです。

えびす神についての神話の解釈では、二つの説が人々から大きく支持されました。

以降、日本中のえびす神社では、この二つのどちらかの神様を祭神として祀るようになりました。(あるいは、この二つの神様を祀った神社がえびす神社と名乗るようになりました)

最初の神様の子ども説

えびす神の正体説のひとつは、日本最初の神様“イザナギノミコト”と“イザナミノミコト”の子どもである

蛭子命[ヒルコノミコト]

という説です。

古事記によると、ヒルコはイザナギとイザナミの最初の子でありながら、不具の子(今で言う障害者)であったため、葦の舟に乗せて流されてしまいます。

“蛭子”というのは、ヒルのように手足のない子を意味しています。

本当に無かったのかはわかりませんが、古事記の記載によると、「三年足立たず」(三年たっても歩けなかった)とあります。

このヒルコが流れ着いたという伝説が日本各地に残っており、哀れに思った人々が漂着物を祀って「蛭子神社」ができました。

遠くから流れ着いたというところが、海からやってきたえびす様と重なり、ヒルコはえびす神と同一の神様と解釈されるようになったのです。(蛭子を“えびす”と訓読みできたから、という説も一部あります)

ヒルコを祭神とするえびす神社の総本山である兵庫県の西宮神社では、今でも蛭子の像が祀られています。

大国主命[オオクニヌシノミコト]の子ども説

もうひとつの有力な解釈は、大国主命[オオクニヌシノミコト]の子どもの

事代主神[コトシロヌシカミ]

とされる説です。

オオクニヌシはイザナギとイザナミから生まれた末の弟スサノオの子孫ということになっています。

乱暴者だったため、姉の天照大御神[アマテラスオオミカミ]から天界を追放されたスサノオは、オオクニヌシの代までかけて、地上に葦原中国[あしはらのなかつくに]という国(出雲の国)を作り上げます。

豊かな実りの国を天から見ていたアマテラスは、「あれは、わたしの子孫が治める国です」と言って、国を天津神(天界の神様)に譲るように告げる使者の神様を送ります。

遣わされた神様に対して、オオクニヌシは「息子のコトシロヌシが答える」と言います。

使者は美保ヶ崎で釣りをしていたコトシロヌシに国を譲ることを迫り、コトシロヌシは承知します。

この神話から、コトシロヌシは託宣(神託のこと)を司る神様となっています。

国譲りの時、コトシロヌシは釣りをしていましたが、元来釣り好きの神とされ、海の神としても信仰されていきます。

そして、漁業の神様えびす神と同一視されるようになっていくのです。

国盗りの時の話にちなんで、えびす神は竿と鯛を持つ姿に描かれるようになったとも言われています。

島根の美保神社や恵比須神社と名のつく神社の多くで、コトシロヌシは祀られています。

えびす様ってほんとは何の神様?

海の神様が、なぜ商売繁盛の神様になったのか?

えびす様の始まりは、漁民らの土着信仰の対象の海の神様でした。

初めの頃は、えびす様は荒れる海の神の威厳を表わすように、結構おっかない形相とされていました。

いろいろな神様と同一視され、やがて七福神になっていく過程で、だんだん今のような穏やかでにこやかな神様になってきたようです。

今、えびす様といえば、

「商売繁盛の福の神」

というのが第一に浮かぶところでしょうか。

漁業の神様から商業の神様になり、福の神として七福神入りまでした過程についても、いろいろな話が出てきます。

海の神から山の神まで

古代から中世にかけ、社会の仕組みがだんだん整ってくると、農耕・狩猟の民は自給自足のため以上に、人に売ってお金に換えるために収穫するようになります。

漁師は獲った魚を市場で売るようになり、漁業の神様えびす様が市場でも祀られるようになります。

そして魚がよく売れた時は、えびす様の御利益とされ、だんだん商売繁盛の神様へとなっていったようです。

福の神のように言われだすと、あやかり信仰も広がり、そのうち五穀豊穣の御利益も謳われ、農業の神様、山の神・田の神として祀る地域も生じました。

今も東北などでは農業神として崇める傾向が強いそうです。

また、一部地方では交通安全の神様にもなっているとか。

大黒天とペア、毘沙門天とトリオ、そしてとうとう七福神

もともと八百万の神様信仰が主だった日本に、奈良時代以降、中国から仏教やヒンドゥー教、密教などが次々入ってきます。

大らかですから、余所の国の神様も気に入ればどんどん取り入れ、日本古来の土着信仰と結びつけて日本の神様としてしまうことがたくさんありました。

ヒンドゥー教の神だった大黒天を食物と財福の神=台所の神として最初に祀ったのは、比叡山の最澄だったと言われますが、平安時代中頃には大黒様信仰は庶民の間にも広まっていました。

これと、土着信仰のえびす様かセットで崇拝されるようになっていき、やがて同じくヒンドゥー教の神から仏教に取り入れられた毘沙門天信仰も加わり、三神信仰となります。

その後、仏教や道教の神など次々外来の福の神信仰が普及し、室町末期の頃に今の七福神としてまとまりました。

えびす様の由来をヒルコやコトシロヌシとすると、七人の中で唯一日本の福の神がえびす神、ということになります。

しかし、外来の海の神とされていた夷様を日本の神と同一視、がありなら、大黒天も後にオオクニヌシノミコトと同一視されるので、この2人が日本の神様、ともいえそうです。

というか、コトシロヌシ説をとれば、この2人親子ですよね。

探るほどに奥深いえびす様の実態

商売繁盛の神様になった説・その他

魚市場の神から発展した説以外にも、えびす様が商売の神として支持されていった理由は、いくつかいわれがあります。

よく聞くのは、

神無月(10月)に他の神様がみんな出雲へ大集合してしまう中、えびす様だけは留守神として各地に残っているので、年中無休の商人たちから崇められるようになった

というもの。

また、ヒルコの像を祀る西宮神社では、ヒルコは3年たっても立って歩けなかったという古事から、「お足がでないのは縁起がいい」と商家に信仰されるようになったと伝えられています。

同じえびす様でもバリエーションいろいろ

現在、神無月の20日、留守神のえびす神を祀り、一年の無事を感謝し、大漁と五穀豊穣、商売繁盛を祈願するのが「えびす講」となっています。

神社によっては旧暦の10月20日の所も、年2回、1月(新春)にもえびす講を開催する所もあります。

土着信仰のえびす様も、その後同一視していった神様も、神社によってバラバラなので、神事の形やいわれも、実は地域により神社によりいろいろ違っています。

コトシロヌシ説が普及してから、いかついビジュアルだった夷神が、穏やかな太公望スタイルに変化したように、後付けで作ったいわれだな、と思えるものもいくつもあります。

一方、どうしてそうなのかよくわからないエピソードもあります。

結局外来の海の神・水の神の元となる他宗教の神も判明していませんし、なぜ大昔、日本の異なる土地で似たようなえびす神信仰が発生していったのかも、よくわかっていません。

謎の多さも人気の秘密?

七福神の中では、大黒天と並んで、人気も歴史もあるえびす様。その歴史を紐解くと、案外複雑でなんでもあり!?のエピソードがたくさんでてきます。

人によって、微妙に解釈や説明が異なっているものも多く、実に謎の多い神様であることもわかりました。

日本中あまりにも多くの土地で、あまりにも多くのパターンで発祥・発展してきた神様だからこその複雑怪奇であるのでしょう。

お近くにえびす講を開催しているえびす神社があれば、ちょっと立ち寄って、えびす像のお顔を改めてよく見てください。

ふくよかで優しい笑顔の中には、沢山の神様とたくさんの人々の信仰の歴史が凝縮されてきているんだな~、と思うと、ちょっと高めのヱビスビールの有難さが、更にグレードアップするかもしれません。

まさケロンのひとこと

えびす神の正体説には

  • 最初の神様の子ども、蛭子命[ヒルコノミコト]説
  • 大国主命[オオクニヌシノミコト]の子ども、事代主神[コトシロヌシカミ]説

の2説があるんだね。

一仕事終えたら、ヱビスビールでもいきますか~!

masakeron-love


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。