日本は世界的に見ても「祝日」がとても多い国だそうですが、なぜ祝日なのか、何をする日なのか、外国人に聞かれてもうまく答えられない日もあります。
11月3日の「文化の日」は、どうでしょう?
一般的に“憲法が公布された記念日”と認識している人が多いと思いますが、法律の定義では
「自由と平和を愛し、文化をすすめる」日
となっています。
「自由と平和」ですかぁ・・・・そんなこと讃えるイベントなど聞いたことない気もします。
そのまま「憲法の公布を記念する」日じゃダメだったんでしょうか?
表向きは関係ないことになっている「明治節」
当時の日本人にとっては大事な明治天皇の記念日
文化の日が祝日と定められたのは、もちろん日本国憲法が公布された後のことですが、11月3日は戦前から祝祭日のひとつとして定められていました。明治時代は「天長節」といわれました。
これは今で言う「天皇誕生日」です。
大正に入って天長節が大正天皇の誕生日に移行し、代わりに7月30日が先の天皇の崩御日を祭日と定める「明治天皇祭(先帝祭)」になりました。
天長節も先帝祭も天皇が変わるとどんどん変わっていきますが、日本の近代化の礎を築いた明治天皇の偉業を讃える国民の心情は強く、やがて国民的要望として明治天皇の記念日をずっと残したい、という声が高まります。
そこで、昭和2年にこの日を「明治節」という祝日に定める法律ができました。
戦後、祝祭日の名前がいろいろ変わりました
日本国憲法の時代になり、宗教と政治は切り離さないといけないと決められます。
大日本帝国憲法の下では“神様”だった天皇は、“人間”になりました。
そして、皇室の神事を国家的に祝ったり祀ったりする祭日や、歴代の天皇を讃える祝日は、廃止されることになりました。
しかし、皇室行事に伴って、国民の間でも定着していた風習もあり、それらのイベントの日としての定めは継続してほしいという国民感情も多く見られました。
皇室崇拝を促す目的ではない解釈に変えることができたいくつかの祭日は、名前を変えて祝日として残すことができました。
お彼岸の時期に、代々の天皇の供養を行ってきた春と秋の皇霊祭は「春分の日」「秋分の日」と名前を変えて残されました。
その年の豊穣を神と祖先に感謝する収穫祭行事だった「新嘗祭」は「勤労感謝の日」になりました。
それでも、多くの祝祭日がなくなりました。明治節もそのひとつです。
本当は11月3日を憲法記念日にしたかった
新憲法公布に際し、明治節は何ら関係ないとされていますが、当時の国会等の記録を追っていくと、明治節と同じ日に合わせるように調整されていったのではないか、と見る人たちもいます。
新たな祝日法が国会で審議された時、憲法公布日の11月3日を「憲法記念日」とすることを参議院は強硬に主張しました。
しかし、日本が再び権威主義(全体主義)国家に回帰していくことを過度に恐れていたGHQは、大日本帝国憲法を定めた明治天皇に関わる日を、新憲法の記念日にすることに強い抵抗を示したそうです。
結局、憲法記念日は5月3日になりましたが、11月3日を祝日として残したい日本人の思いは汲んでもらえたのか、憲法という名称がつかない記念日なら容認される感じになり、「文化の日」という落としどころに落ち着いた、というのが真相と言われています。
自由と平和を愛する憲法の精神に思いを馳せる日
「自由と平和を愛し文化をすすめる」にこめられた意味
「国民の祝日に関する法律」の第一条では、「国民の祝日」の定義として、
「自由と平和を求めてやまない日本国民が、美しい風習を育てつつ、よりよき社会、より豊かな生活を築きあげるために、国民こぞって祝い、感謝し、又は記念する日である」
と書かれています。定義ですから、各祝日の主旨説明文の前について目的を表わす文となるようなものです。
「文化の日」の主旨では更に同じ言葉を重ねているので、
自由と平和を愛する日本国民が・・・国民こぞって、『自由と平和を愛し文化をすすめる』日
になっているわけです。
もう、どんだけ“自由と平和”好きなんだか!という感じですが、そこまでして「もう新しい日本は軍国全体主義じゃないですから」と念を押すことで、11月3日の祝日を残すことに対するアメリカの抵抗感を和らげたかったのだろう、という思いがうかがわれます。
にしては、文化の日に憲法の「自由と平和」の精神が取り立てて話題にされることはない昨今です。
集団的自衛権容認が閣議決定され、間もなく特定秘密保護法も施行される年なので、もしかしたら、今年はどこかで憲法の「自由と平和」精神について語るイベントでもやるのかも?と、思って検索してみましたが、それらしい情報はなさそうでした。
それはそれで、日本は平和であることの証とも言えますが・・・。
せっかく法律に載っていますから、寝る前に一人でひっそりとでも、「自由と平和」と「憲法」の関係について考えてみてもいいかもしれません。
「自由でいられること」っていうのが「平和」なんじゃないかな~と思うんだ。