クリスマス

クリスマスの真実?イエスの誕生日が12月25日って嘘!

Written by すずき大和

クリスマスは、いわずと知れたイエス・キリストの誕生日です。

といいたいところですが、実は本当の誕生日は違います。10月頃という説もありますが、聖書の中にも日付の記録はなく、真実は不明です。

キリスト教が発祥した当時は、イエスの誕生日を祝う習慣はありませんでした。実は、クリスマスが行事化されたのは、イエスが死んで300年近くたった後です。

当時の権力者や教会の政治的な目論みが、12月25日を誕生日と定め、クリスマスとして盛大に祝う祭にし、今に至っています。



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ユダヤの信仰が西洋のキリスト教に

イエスは反逆者

イエスが神様だと思っている日本人が多いようですが、本当の神はユダヤ教の教典(旧約聖書)の中の神様です。イエスは、ユダヤ教の教えに、新たな解釈(クリスチャンの立場でいうと“正しい解釈”)と信仰の形を説いた人です。イエスの死後、弟子たちがその教えを伝え広めたのが「キリスト教」です。

イエスはいわば創始者ですが、イエスが教えを説いていた時は、ユダヤ教の指導者や当時の征服者ローマから迫害される立場でした。結局ローマ帝国の法律によって、最後は処刑されてしまいます。

信者たちは、同じように虐げられる立場の弱い庶民たちでしたから、イエスが生前にちやほやと誕生日を祝ってもらうとか、信者への祭事や有難い物品の販売で一儲けする、なんて現代の怪しげな新興宗教の「教祖様」みたいなことはありませんでした。

キリスト教は異端のもの

イエスの死後、ヨーロッパにキリスト教が布教されていった時代も、ずっとローマ帝国が大きな覇権を制していました。ローマはヘレニズム文化から発展したので、初めのうちは、キリスト教は異端のもの扱いでした。

しかし、宣教師らの献身的な布教活動もあって、信仰に帰依する人は徐々に増え続け、304年、ついにローマ皇帝コンスタンチンがクリスチャンになったことで、キリスト教はローマの国教になりました。

何でもあり?異文化に柔軟だったローマ帝国のキリスト教

先祖代々の神様信仰もお祭も続けていいよ

ヨーロッパには各地にもともと土着の文化やコミュニティがあり、それぞれの地に神様やそれを祀る風習がありました。ローマ帝国が覇権を広げる際、それらの風習を温存しながら、緩い統治を行うことで、反乱を抑えて大きな国家融合体を形成していきました。

それでも4世紀頃になると、ローマは一時期の勢力を失っていました。分裂に向いそうな多様な民族を統合するために、コンスタンチン皇帝とキリスト教会はキリスト教と土着の宗教を習合し、帝国全土が同じ祭を祝う大きなイベント化を図ります。

ローマはそれ以前のペルシャ帝国文化の影響が大きく、初めはペルシャの太陽神信仰がヘレニズム世界で発展した「ミトラ教」が盛んでした。ミトラ教では、太陽神の力が新たに甦る日として、冬至が祝われていました。

ローマ教会は、定かでないキリストの誕生日をこの冬至の所へ持ってきます。冬至祭をキリスト生誕の祭典として、国と国教をあげて祝福することで、国内の一体感や連帯を高めようとしたのです。

旧約聖書のメシアの預言とミトラの太陽神を結びつける

死後甦ったことも含め、数々の奇跡が伝えられるイエスは、旧約聖書の終盤に書かれている「救世主(メシア)」が世に降臨した姿であると、キリスト教では解釈しています。

メシアの預言が書かれたとされる紀元前3世紀頃のユダヤ教社会は、信仰心が荒廃し、教えが形骸化する傾向にありました。宗教指導者の中には戒律を強制して民を支配し、人々を苦しめる者もいました。預言者はそれらが真の神の教えとはかけ離れているものだと警告していたのです。

旧約聖書の最後の書には、一か所だけ、メシアを「義の太陽」と表現した預言があります。当時の地中海世界はまさにペルシャ帝国の支配にあり、翼のある太陽の絵(有翼日輪)はペルシャ王家のシンボルとして町のあちこちで見ることができました。

旧約聖書のマラキ書には、

「わが名を畏れ敬うあなたたちには義の太陽が昇る。その翼には癒す力がある」

と書かれていました。

ペルシャは圧倒的な武力で周囲の国を併合して成り立った王国です。武力ではない「癒す力」を持った救世主が世を救うことを、「義の太陽」という表現で示唆しているという解釈があります。

“義の”とは、戒律にしばられるユダヤ教や、力で支配する人たちの信仰でもない、“本当の”神の教えを示してくれる人だ、という意味です。

コンスタンチン皇帝は、この「義の太陽」の例えをうまく利用し、冬至を境に力が甦るミトラの太陽神は、一度死して甦った預言のメシア、イエス・キリストのことである、と解釈して、二つの宗教を習合することにしました。325年、キリスト教会は正式にその年の冬至であった12月25日をキリスト誕生日と決定しました。

地域の祭を取り込んで広まったクリスマス

その後も各地の冬至祭とキリスト生誕祝いをくっつけて「クリスマス」を広めながら、ローマの覇権とキリスト教の布教が進んで行きました。

北欧のクリスマスは「ユール」と呼ばれますが、古代からの冬至のお祭「ユール」がそのままクリスマスウイークの行事となって伝わっています。各地のクリスマスの行事食やサンタクロースの風習も、ほとんどはその地に伝わっていた伝統行事や伝説などに由来しています。

広い心での理解と緩い連帯を

仏教と神教が一緒に信仰されたり、クリスマスを祝って初詣もしてしまう日本の宗教観の無節操さを揶揄する人がいますが、キリスト教やクリスマスも、何でもありの文化の融合体の中で発展したものだったわけです。その後の魔女裁判や激しい宗教戦争などの歴史を見ると、融通が利かないガチガチの宗教のようなイメージをもった人もいるかもしれませんが、神様とは、本来は人を幸せにする優しいものです。

ちなみに、イスラム教も大モトは旧約聖書の創世記の歴史から分化していった宗教です。何かと欧米諸国の社会観と対立するような文化圏のように報道される事も多い昨今ですが、互いに融合できそうな部分、尊重し合える部分にもっと目が向くようになったら、世界の情勢も今よりは少しはいいい方向に変えられるようになるのでしょうか・・・。聖なる夜には、そんなこともちょっとだけ考えてみたいです。

まさケロンのひとこと

12月25日をイエス・キリストの誕生日にしたことについて、たしかに政治的な目論みはあったかもしれないけど、「誕生日がわからないままって嫌でしょ!じゃあこの日を誕生日にしてお祝いしましょ!」ってちょっと軽いけどでもやさしい人もいてくれたとまさケロンは思ってる。

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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。