暦の上では間もなく冬至を迎えます。
太陽の周りを回る地球が、太陽に対して地軸の傾きを一番大きくする2点のうち、北半球が最も太陽から遠ざかって傾く日です。
大昔、大自然と対峙して生きていた人々にとって、太陽の高さや日照時間の変化に伴う季節の変化は、食料を得て、暑さ寒さをしのぎ、生きていく上で、最も大きな影響を受ける、生死と直結する大事な問題でした。
昼間の時間が最も長くなる夏至と共に、最も昼間が短く日照時間の少ない冬至を無事乗り切ったことを祝福する祭は、北半球の各地で行われていました。
実はクリスマスも、ヨーロッパの冬至祭の風習とキリスト教が結びついて現在の形になったものです。
古代の冬至祭
世界最古の文明メソポタミアの新年祭
紀元前3500年前後に栄えたメソポタミア文明では、現在のイラクあたりに住んでいたシュメール人たちが、世界初の暦を作りました。
最も太陽の力が落ちる冬至の時期が一年の始まりとされ、冬至前後の12日間は新年の祭が開催されました。
暗さや寒さが増してくるこの期間は、メソポタミアの主神、太陽の神マルドゥクが混沌から出現する怪物と戦う時季とされていました。
冬至前後に新年を祝う祭を行うことは、その後バビロニアやペルシアの文明にも引き継がれました。
古代中国の暦と冬至節
古代中国でも、冬至は暦を決める上での起点となる重要な節気でした。
紀元前1046~256年の周代には中東の文明と同じく冬至が一年の始まりとされました。漢代(紀元前206~西暦256年)に入り、春(季節の始まり)と一年の始まりが揃う暦に改められましたが、冬至を祝う祭典はいろいろな形で引き継がれ、現在も
「冬至節」
として旧正月を祝う時のように、先祖や神様を祀って厄払いし、一家団らんで宴を楽しむ習慣が残っています。
古代ローマの冬至祭
紀元前の古代ローマでも、冬至祭がありました。
農耕の神を祀り、闇を追い払うための祭となっていました。
人々は仮装したり、晩餐会を開いたり、友人とプレゼント交換をしました。
これらは、後のクリスマスの習慣の素になったと言われています。
ヨーロッパの冬至祭とクリスマスの誕生
北欧のクリスマス「ユール」
ヨーロッパ北部では、ケルト人やゲルマン人による冬至祭が行われていました。
緯度の高い所ほど、日照時間の差は大きくなるので、特に北欧での夏至・冬至祭は、昔からとても盛大なイベントです。
暗くて寒い冬至の時期は、悪霊の力が強まると考えられていましたが、冬至を境に太陽のパワーが復活するとされ、冬至祭はそのことを祝福する宴でした。
この祭は「ユール」と呼ばれ、「ユールログ」と呼ばれる大きな木の幹(巨大な薪)を燃やす火を囲んで、ご馳走を食べ、お酒を飲んで、12日間祝いました。
ユールログの火は魔除けの効果があるとされ、その後北欧以外のヨーロッパへもユールログとユールの習慣が広まっていきました。後にキリスト教と融合してクリスマスになりましたが、北欧では、今でもクリスマスのことを「ユール」と呼び、ユールログを模した丸太型のケーキ
「ブッシュ・ド・ノエル」
を食べる習慣も残っています。
ミトラ教「不滅の太陽の誕生日」とキリスト教
紀元後、ローマ帝国全体にキリスト教が広がり始めた頃、土着の宗教として根強かったのがミトラ教でした。
太陽神ミトラを崇拝し、冬至は、弱まって死んだミトラ神が力を取り戻し再び地上に生まれてくる日とされ、「不滅の太陽の誕生日」と呼ばれる祭が行われました。
ミトラ教のライバルのキリスト教としては、一度死んで復活するといえば、イエスの奇跡の代名詞みたいなものでしたから、冬至の日にはイエスの誕生日を祝うべきだ!と主張しました。
実は、イエスの誕生日は聖書に記載がなく、聖夜の逸話は語り継がれているものの、それがいつかは諸説あって定かではなかったのです。
イエスの誕生を記念するに相応しい日が選ばれた
旧約聖書の中には
「義の太陽」
という表現が出てきます。
キリスト教会は、ミトラ教の不滅の太陽の誕生日は、真の「義の太陽」であるイエスの誕生日としよう、と主張しました。
当時のローマ皇帝はこれを支持し、対立するミトラ教と平和的な融合を計ろうとしました。
4世紀頃のローマ帝国は最盛期の勢力を失い、分裂の時代へと向かっていました。
ミトラ教徒だけでなく、北欧の民など、冬至祭の土着文化を持つ地域の民族・宗教もみな一緒に統合したいという思惑もあったものと推察されます。
西暦325年、キリスト教会は正式に、冬至の日(その時のカレンダーでは12月25日)を「イエスの誕生日」と決定しました。
以後、異教の風習も習合させて、クリスマスというキリスト教の復活祭に次ぐ大きなイベントが発展していくこととなります。
サンタクロースも、ヨーロッパ各地にある妖精伝説などから発展して生まれたもののひとつです。
そのため、ヨーロッパでは地域により、サンタ像が微妙に異なっています。
日本の冬至の風習
クリスマスと冬至を結びつける感覚の乏しい日本
日本では、クリスマスの習慣が根付くのは、もっとずっと後の時代です。
宗教色にはあまりこだわらない「外国のお祭」として受け入れてきたため、冬至との関係はあまり意識されていません。
ヨーロッパより低い緯度に位置する日本では、冬至の暗さや日照時間の短さも、それほど痛烈に受け止めてはいませんが、それでも厳寒の冬に向かう時季であるため、健康に配慮した風習が伝わっています。
柚子湯やかぼちゃを食べる習慣は、風邪を予防するためと、よく言われます。
中国伝来の暦では、やはり冬至は祝福する日
日本の暦は中国から伝わり、明治初期まで太陽太陰暦が使われていました。
長い間、暦を通して、中国の哲学や思想もかなり日本の風習に入り込んでいます。
陰陽説という吉凶の考え方もそのひとつです。
太陽の出ている時間が一番短い冬至の瞬間は、陰に属して運気はやはり弱いと考えられています。
冬至を過ぎることで、陰が極まり再び陽にかえる(これを一陽来復といいます)と解され、日を表わす冬至にはやはり
「すべてが上昇運に転じる日」
という意味があるのです。
かぼちゃも柚子も実はゲン担ぎのアイテムです
かぼちゃを食べる習慣も、実は栄養価のためだけではなく、開運のためのゲン担ぎの意味が隠されています。
今は「かぼちゃ」ばかり言われることが多いですが、冬至の日に食べるといいとされているものは、ほかにも
- 「れんこん」
- 「だいこん」
- 「人参」
- 「うどん」
- 「ぎんなん」
- 「きんかん」
などがあります。
わかりますか?
みんな「ん」のつく食べ物です。
これは「運盛り」といって、これらを食べることで運が呼び込める、という縁起担ぎなのです。
かぼちゃは「ん」がつかないって?いえいえ、漢字で書いてみてください。
「南瓜(なんきん)」でしょう。
実際、昔はかぼちゃをこう呼んでいたのです。
柚子も“香りの強いものは邪気を祓う”と言われることから、開運のために身を清めるための入浴剤なのです。
ということで、日本の冬至もクリスマスも、太陽のパワーにあやかって厄払い・開運を祈る思いが込められた祝福のイベント、という点で共通しています。
かぼちゃというとハロウィンと思われがちですが、今年のクリスマスは、ご馳走にかぼちゃの煮つけを加えて、“東西の文化の融合”を計ってみるのも乙なものではないでしょうか。
まさケロンも「ん」のつく食べ物いっぱいたべて運盛りするよ~!