科学的に説明がつかない物事のことを超常現象といいます。
世界には昔からさまざまな超常現象の話が残っています。
各地に残る神話や宗教の中にもそんな奇跡のような話がたくさんあり、信じないで神様を冒涜するようなことをすると、“罰が当たる”という人はたくさんいます。
が、一方で、今生きている人が
「自分もそういう体験をしました」
と、真剣に訴えると、多くの場合信じてもらえません。
精神疾患があるとか、幻覚症状が起きたとか、ペテン師扱いされるのが関の山です。
科学者がそんなことを肯定した日には、学者生命が危うくなることは間違いないでしょう。
不思議な偶然 シンクロニシティ
かつて、カール・ユング(1875~1961年)という今に名を残す偉大な心理学者がいました。
彼の功績は、現在の精神医学の発展に大きく寄与しましたが、同時に、彼は“奇跡”に分類されるような事象を科学的に捉えようとする説を唱えたことでも有名です。
できすぎた偶然の符号
- 靴ひもが突然切れたと思ったら、その同じ頃に身近な人に何か悪いことが起きていたとか、
- 誰かに電話しようと思ったその時、丁度その相手から電話がかかってきたとか、
- たまたま忘れ物をして飛行機に乗り遅れたら、その便が事故を起こして命拾いしたとか、
- その時は意味のないように思えた言葉や事象が、後にピンチを救うヒントになったとか・・・
そんな単なる偶然の一致として考えるにはあまりにもタイミングが良すぎて、
と、思えるような話を聞いたり、体験したりしたことはありませんか?
- 不吉なことを教えてくれる「虫の知らせ」などといったり、
- 目に見えない人と「絆がある」と感じたり、
- 「死んだおばあちゃんが助けてくれた」と思えたり、
- 神の啓示だったのだと確信したり・・・・
人は多くの場合、そういう出来事を心霊現象や神の奇跡のように解釈してきました。
通常の因果関係とは別の所で何かがつながっている?
ユングは、これらの意味ありげな偶然の一致現象を
「シンクロニシティ」
と呼びました。
日本語では「共時性」と訳されています。
人間社会では、気付かないうちに人々の間に「集合的無意識」が働いていて、無意識のうちに情報交流しているのではないか、とユングは考えました。
ユングの前に、フロイト(1856~1939年)というこれまた高名な精神科医がいました。
人の無意識中にあるものが、心の健康に影響を与えていることに初めて着目して研究をした人で、ユングも深く傾倒していた時期がありました。
フロイトは無意識の中に眠っている幼少期の体験に基づいて形成された意識が、現在の精神病理の原因になっているという説(今でいう心的外傷ですね)を説き、その無意識を引き出す「精神分析」という療法を考えました。
ユングは更に、個人の体験に基づく無意識の下に、人類の長い経験や蓄積によって構築された無意識が遺伝的に心に受け継がれていると考えました。
この民族等に共通する深い所の無意識の層が集合的無意識だといっています。
虫の知らせのようなシンクロニシティ現象は、知らないうちに地域のみんなが持っている集合的無意識の中で情報交流が行われ、それが個々の意識へ同時にフィードバックされるために起きている、という風にユングは考えたのです。
科学と非科学の狭間にあるシンクロニシティ
科学にはなり得なかったシンクロニシティ
シンクロニシティは、論理的・科学的に説明できる因果関係はないけれど、外界の事象や個人の心の中の事象が、離れた場所の誰かと誰かに同時に関係が及んで起きている現象、ということです。
ユングは共時性をテレパシーや予知などの超能力や占い学等を説明する原理としても研究し始めたので、無神論を支持するフロイトの流れを汲むガチガチの科学者系の人たちなどからはちょっと敬遠されることもありました。
もちろん、これは科学的に証明することはできませんでした。未だにシンクロニシティは科学とは認められていません。
しかし、ユング博士がいかに理性的、理論的に物事を考えられ、かつ賢い人間であるか、世間はよく知っていたので、誰も博士を精神病患者やペテン師だとは思いませんでした。
とはいえ、シンクロニシティ論は、まだ定義が定められず証明されるに至っていない仮説というより、「似非科学」とか「疑似科学」に分類されています。
ユングの知りたかったこと
一方で、シンクロニシティという事象と言葉は、超常現象の研究者や宗教の中で継承されていくこととなりました。
超常現象好きの人の中には、オカルトや呪いのような事象も科学的に解明しようとしてユングの理論を利用することもありました。
スビリチュアル系の人たちは、偶然の起きる確率が異常に高い人が存在する、という類のエピソードの発掘に熱心になる人もいました。
神の奇跡を信じる宗教家の皆さんは、共時性を科学的に解析しようという意識など持つはずも有りませんが、世の中に偶然はなく、どんなものごとにも何らかの意味を見出すことができる、という感覚は、とても敬虔に受け止められています。
ユングは牧師の息子として生まれました。彼は科学を志しましたが、決して宗教を否定していたわけではなく、どちらも大切なアイデンティティだったのでしょう。
彼にとって、神の御業は超常現象ではなく、いつか解明できると信じる真実だったのかもしれません。
神のサインを受け止められる生き方
2002年にM・ナイト・シャラマン監督で大ヒットした
「サイン」
という映画がありました。
「家族の絆」と「シンクロニシティ」を基盤にしたお話です。
メル・ギブソン演じる主人公は真面目で信仰心の熱い牧師でした。
が、敬虔な信者の一人がおこした交通事故に巻き込まれて妻が死んでから、神の存在が信じられなくなって牧師を辞めて、農夫として寡黙な日々を送っていました。
数年後に宇宙人が村に襲来した時、妻のいまわの際の言葉が家族を危機から救うためのメッセージになっていたことを知ります。
メル・ギブソンは家族同士の愛と神の啓示(サイン)を悟って再び牧師に戻り、家族や信者の村人たちとの平穏な日々を取り戻すという、SFともオカルトともつかない、ハートフルなファンタジーでした。
神様がいるのかどうかはわかりませんが、世の中偶然はなく、すべて何かしらの意味を持つ運命だ、と考えると、人は、苦しく辛い境遇にあった時に、前向きに頑張る考えを持ちやすくなります。
不幸が“神の試練”ならば、
と考えざるを得ません。それは、
と不幸を人のせいにして恨みつらみばかりの人生になっていくより、ずっと建設的な生き方です。
シンクロニシティを科学的に解明できるかどうかはともかく、「偶然は偶然じゃない」と信じることは、とても素晴らしいことかもしれません。
科学も神のつくりたもうもののひとつ
人類の多くが何らかの信仰心を持っています。宇宙の始まりの存在を生み出したのが神様であるならば、宇宙を成り立たせている科学の法則を作ったのもやはり神様ってことになります。
科学と神の御業を相反するもののように対立させる必要はなく、どちらも、ずっとずっと突き詰めて探求していくと、いつか同じものにたどり着くかもしれません。
身の回りの偶然に隠れたサインに、ちょっと敏感になってみましょうか。
不幸をただ不幸だとは思わないで、不幸を乗り越えたからこその幸福があるって考えると、その不幸も本当は幸福なのかもしれない。