年末が近づき、そろそろ年賀状の準備をする季節となりました。ちらほら「喪中欠礼ハガキ」も届きます。受け取ると、欠礼する人を年賀状送付リストから外していますか?
12月早々、郵便局の受付け開始直後に年賀状を投函してしまう人もいます。が、12月10日頃にのんびりと喪中欠礼のお知らせが届くことも少なくありません。そんな時、マナーのハウツー記事の中には、既に年賀状を出してしまった人へは
などと書いてあるものもあります。
どうも
“喪中の人には、年賀状を出すと失礼”
と思っている人がたくさんいるようです。が、実はそれってどうやら勘違いから始まった習慣のようですよ。
形骸化していく喪中の習慣
故人を悼みながら、遺族が気持ちの整理をする時間
「喪に服する」「喪中」とは、身近な家族が亡くなった後、一定の期間身を慎むことです。世界中のほとんどの文化に見られる習慣です。身を慎むとは、お祝ごとや派手な享楽を控え、静かな気持ちで故人を悼むことです。
どの程度のものをどのくらいの期間控えるべきか、という具体的な内容は、宗教や文化、その土地や個人の家のしきたりなどによって様々です。もともとは、
というニュアンスの、いわば周囲の心遣いの習慣です。
喪中の年始の挨拶
日本では、亡くなってから最初に向える年明けに「おめでとう」と挨拶することは慎む習慣が、かつては全国的にありました。
が、最近は、挨拶しにいく先が実家や親戚の家の場合、例え先方も同じく喪中であっても、「挨拶にいくのを控える」というとむしろ相手側は不満に思う場合が多いようです。
喪中に関係なく、正月は挨拶に行った方が良い、ということで、祖父母らに孫の顔を見せに行く人が大半です。夫の里帰りとなれば妻は当然手土産(お年賀)を持っていかないわけにはいかない、という人も多いでしょうし、会えば「あけましておめでとうございます」もいうでしょう。
だいたい、楽しみで行っていた習慣を、喪中だからといって一年近くも控える人なんて、たぶんいません。服喪の習慣は半分くらい形骸化しています。
年賀状の欠礼習慣だけ頑なにこだわる現代人
年始の挨拶状だけは絶対に控える
厳格に喪中の服喪の態度を保ち続ける人は、現代では少ないでしょう。しかし、こと「年賀状」についてだけは、喪中欠礼のしきたりを踏襲する人は今もたくさんいます。
思うに、年賀状は出す立場になると、面倒くさいことこの上ない作業ですから、「サボれる理由がつくならば、サボりたい」と願っている人たちの本音が、欠礼習慣を守らせ続けているのかもしれません。
本来のマナーでは、「服喪」とは喪中の人が自らお祝ごとに参加するのを控える習慣であって、他の人にも「祝う様子を見せるな」と強要するのは間違いです。
新年の御挨拶状を受け取ることはなんら喪に反することではなく、他の人が年賀状を送ることも、全然マナー違反ではありません。
しかし、いつの間にか「喪中の人にはこちらの賀状も出してはいけない」に変わっていきました。それもまた、一枚でも面倒臭い年賀状作成の手間が省けることを歓迎する暗黙の本音が、都合よい解釈を生んだのかもしれません。
遺族だって、本当は年賀状もらうと嬉しいもの
喪中欠礼ハガキを出した結果、年賀状が全然こなかった経験を持つ人にインタビューすると、ほとんどの人が「寂しかった」と答えます。
気遣って「寒中見舞いはがき」などくれる人がいると、「本当に嬉しかった」ともいっています。遺族だって、本当は年賀状もらいたいのです。そして、心温まる年賀状は、遺族を元気にします。
喪中の心遣いの伝統の意味を考えても、遺族を励ます年賀状はぜひ送ってあげた方がいいです。
文面は「賀」「おめでとう」は避けて、
- 「寒中見舞い」
- 「喪中見舞い」
- 「年始状」
などという言葉で表現した挨拶状にしてあげましょう。
喪中欠礼の挨拶を出す人も、
などと言葉を添えることは失礼にはあたりません。遠慮なく「賀状お待ちしてます」メッセージを伝えてあげてください。
それでは皆さま、良いお年を・・・。(この挨拶は喪中でもOKです)
年明けの挨拶に「賀」「おめでとう」がなくたっていいよね、大切なのはそこじゃないというか。喪中の人にも年賀状を送ろう!