春の桜の頼りが日本列島を北上しています。
桜の名所が湧きたつお花見シーズンが終わると、最近では続けて
芝桜
の見頃の話題で賑わう地域が増えています。
地面一面を覆い尽くすように芝桜が咲く公園は、さながらピンクの絨緞を敷き詰めたようで、人々はその中をゆっくりと散策しています。
宴に埋め尽くされる桜の花見風景とはまた違う、穏やかで優雅なお花見です。
北から始まった地道な芝桜公園づくり
首都圏や西日本では、ここ15年くらいの間に急激に
芝桜公園
のオープンが続きました。
大きなところも小さな公園も、新たな観光名所として、春の人気のスポットになっています。
実は、本州に先だって初めにこの「芝桜」に着目し、観光名所として公園を作ることを始めたのは北海道でした。
桜の名所に負けない観光地に
明治以降、日本全国で桜の植栽が進みいくつも花見の名所ができました。
北海道網走管内の滝上町でも1千本の桜を育て、1950年代には桜まつりを開催しました。
が、寒冷地では桜が痛みやすく、管理の難しさから本数は徐々に減っていきました。
1959年、当時の町長が、越冬にも害虫にも強く美しい景観を作る芝桜の植栽を思いつきます。
行政と住民が力を合わせ、多くのボランティアに支えられながら地道に植栽を続けて公園を整備していきました。
年数を重ね、美しい景観が評判を呼び、北海道の他の町にも芝桜公園の整備が広がっていきました。
今では全国有数の芝桜の名所公園が道内にいくつもあります。
お金はなくとも町を全国区にできる芝桜
北海道の芝桜公園の評判はあっという間に全国に広がります。
一年の一時期とはいえ、膨大な集客力を発揮し、しかも一度来た人のリピート率がとても高く、何より芝桜の名所というブランドは、町を全国区で有名にしました。
公園を整備するまでには、ひとつひとつ手で植える作業を膨大な量こなしていく必要があり、株分けしながらだんだん面積を広げていくには時間もかかります。
が、テーマパークやミュージアムなどの箱ものを作るのに比べると、何百分の一の予算で取り組め、その後の維持費も公園の入場料で賄える範囲です。
お金はないけれど、土地と住民の意欲はいっぱいある地方の人口の少ない町の町おこしには、グットアイデアの企画でした。
バブル崩壊が芝桜公園の全国的な取り組みに繋がる
箱ものではお客さんはつなげない
バブル期、全国の多くの地方自治体が、町おこしのために、各種のテーマパークや○○記念館のような箱ものをたくさん作りました。
が、ひとたび景気が悪くなると観光客は激減し、収益よりも維持費が膨らんで財政を圧迫することになりました。
テーマパークは次々お金を投入して新しい企画を作り続けないと、すぐに飽きられてしまいますが、赤字経営ではシステム刷新などできる術もなく、増々誰も来てくれなくなる、という悪循環に陥っっていきました。
住民を立ち退かせ、環境を破壊して作った大型リゾート地も、次々廃墟となりました。
芝桜公園の良さに全国が着目
1990年代後半、開発型の観光地整備の限界を思い知った日本で、お金もかからず、自然も破壊しないけれど、みんなに喜ばれて繰り返し訪れてもらえる芝桜公園の魅力が、多くの財政難自治体から再び注目を集めることになります。
2000年代に入る頃から、特に首都圏近郊の県で広大な規模の芝桜公園が次々オープンしていきました。
- 富士本栖リゾート
- 秩父の羊山公園
- 群馬のみさと芝桜公園
などが有名ですね。
5000~10000㎡くらいの小・中規模名所も全国各地で整備が進みました。
どこも今も集客を伸ばしいています。
環境に優しく人の心が温かい芝桜公園
開発のために大きな環境破壊をしない芝桜公園は、訪れる人たちも自然の美しさに共感し、自然を大事にする心を育んでくれます。
また、多くの自治体経営の芝桜公園は、地域住民による植栽や冬場の管理への協力を得て運営されています。
町の人たちの郷土愛が伝わる場所では、繁華街や花見宴会ほど、ごみを捨てたり、自分本位に騒ぐ観光客も少ないようです。
本州の芝桜公園の多くが、ゴールデンウィークに見頃を迎え、伴っていろいろなイベントも行われる芝桜まつりを開催しています。
目にも鮮やかに足元から広がる自然の景観に圧倒され、心洗われる体験をしに、あなたも一度お出かけしてみてはどうですか。
芝桜は、多くの人の優しさに支えられているんやね!
いっぺん見に行きたいなぁ~