6月6日は
梅の日
です。
日本で収穫される梅の実の半分以上を生産する日本一の産地和歌山県の、
- 梅生産者
- 梅干し製造者組合
- JA
- 行政
らでつくる
紀州梅の会
が、2006年に申請し制定されました。
室町時代、日照りが続いた年のこの日に、天皇が京の加茂神社に梅の実を奉納したところ、たちどころに雷雨となり、五穀豊穣をもたらした、という故事にちなんでいます。
この日は、紀州梅の会から加茂神社へ梅の献上を行い、人々の無病息災と平穏を願う祈祷が行われます。
日本の梅干し物語
万葉集に詠まれた花は圧倒的に梅
梅は、中国から奈良時代の前くらいに伝来したとされています。
中国では古来より実を塩漬けにして梅酢を作っていました。
効能が知られると、薬膳や漢方にも使われました。
日本に最初に伝来したのは、青梅を薫製・乾燥した漢方薬の
烏梅(うばい)
というものでした。
しかし、木が日本の地に根付くようになると、人々の関心はまず花のほうに集まったようです。
梅酢と梅干しが食用・薬用に広まる
平安の頃になると、天皇や貴族ら高貴な層の記録に梅の実の塩漬けが登場します。
食用の初めは果物のように生食していたようですが、効能が知られるようになると、保存がきく塩漬けが広まったそうです。
穀物酢がまだ発明されておらず、副産物の梅酢が調味料として使われました。
味加減を表わす
いい塩梅(あんばい)
という言葉は塩と梅酢からきています。
貴族は花の観賞と実の利用のために競って庭に梅を植えました。
武士の携帯食兼常備薬から庶民の日常食へ
鎌倉から室町になる頃、武家の食膳にも梅干しが乗るようになります。
抗菌作用があって疲労回復や傷の手当てにも役立つ梅干しは、戦場に赴く武士の携帯常備薬としても活躍しました。
江戸時代に入ると幕府は梅を植えることを奨励し、梅干しや梅酢も一般庶民の間に広まっていきます。
伝統漬けから調味梅干しへ 甘い梅干しの時代
元来の漬け方(伝統漬け)で梅干しを作ると、塩分濃度は20%くらいになります。
かなりしょっぱいだけでなく、酸っぱさも強くなっています。
近年、塩分摂取を控える人が増えており、酸っぱいのが苦手な人も多いので、梅干しも、塩抜きしてから、はちみつや昆布などで味付けをした
調味梅干し
が主流になっています。
こちらはだいたい8%くらいの塩分で、酸っぱさもマイルドです。
はちみつ漬けのものは、果物のような感覚で食べられます。
中には5%という商品もありますが、おやつスイーツのように甘く感じます。
伝統漬けも減塩ぎみに作られるものが多く、10~12%くらいのものが主流です。
あまり知られていない雑学
梅干しは腐らないのか?
梅は殺菌・抗菌作用がとても強く、同じく殺菌作用のある紫蘇や塩と一緒に漬けてある梅干しは、日光が当たらず風通しのいい所においておけば、
が、最近の減塩タイプや調味梅干しなどで
自家製梅干しを漬けている人には不思議な感覚ですが、買ってきた梅干しは賞味期限以内に食べきりましょう。
申年の梅は縁起がいい
いつからかはわかりませんが
申年の梅干しは体にいい
申年の梅は縁起がいい
と、言われています。
一方、過去の統計では申年に梅の不作が重なることが多く、貴重品扱いされたことが
申年の梅はいい
と伝わった、という説もあります。
紀州梅がダントツになったのは意外と最近
今では梅干しの代名詞ともいえる
紀州梅
ですが、紀州が梅の産地になったのは、江戸時代です。
やせ地が多く米作りができない土地がたくさんあった紀州の田辺領で、当時の家老が梅の栽培を奨励しました。
保護策もとられたので、田辺・南部地方を中心に梅作りが急速に広まったと伝えられています。
しかし、この時代の紀州梅は品質的に劣るものでした。
昭和35年頃、梅干しにするには最良の品種
南高
が開発され、紀州の梅干しの需要はイッキに伸びました。
今では和歌山県で収穫される梅の7割が南高梅です。
梅は土地ごとに合う品種があり、全国的に栽培されている品種はほとんどありません。
梅干し界では南高梅を有する和歌山県の一人勝ちがずっと続きそうです。
最近の健康食志向は、梅の消費量を増やし、新たな調味梅干しの開発もどんどん進んでいます。
カリカリ梅派という人たちも確実に増えており、今後新たな加工法が流行れば、それに合う品種の梅ブームもくるかもしれません。
梅干しの可能性はまだまだありそうです。
昔の紀州梅って品質あんまり良くなかってんなぁ~
今の紀州梅は、めちゃくちゃ美味しいで!