未来創造

被害者が叩かれる社会は、日本人が本当に望む未来なのか?

Written by すずき大和

Twitterで「めいろま」のアカウント名で知られている、評論家の谷本真由美さんは、国際政治学やガバナンスの専門家です。世界40か国以上を訪れた経験のある彼女が、著書の中で、昼間のテレビ番組を国ごとに比較していました。

欧州では、生活情報番組、音楽やトーク番組など、だいたいカルチャー番組がメインのようです。それに比して、日本では地上波のほとんどのチャンネルが、芸能ゴシップが主のワイドショー番組です。

ワイドショーは、他人のプライバシーを執拗に暴き立て、何かに失敗した人を叩いて追い詰めていく内容が多くを締めます。セクハラの被害者がネットで叩かれ、晒される現象なども含め、(多くは権力や逃げ場のない立場の)他人を叩くことで留飲を下げる現象は、どこの国にも多少見られますが、ここまでメディアや世論がそれを望んで、推奨しているのは、日本独特の世相のようです。



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被害者が責められる、という現象

日本人は他人叩きが好き?

日本での他人叩き、特に被害者が激しく叩かれる文化について、日本の特異性として海外で知られるようになっているのは事実です。

2004年

  • イラクで人道ボランティア活動中に武装勢力に誘拐された日本人が「自己責任」と批難されたニュース

最近では

  • 性被害を受けたことを本名で告発した女性が、激しいバッシングのために国外避難せざるを得なくなったニュース
  • セクハラ官僚を庇いハニートラップの可能性をほのめかした大臣の発言

などが、海外で大きく報じられています。

日本だけなのか?

カースト制(身分制度)の影響が強い中近東などでは、階級間での叩き合いが起き、先進国といわれる欧州の国の中にも、古典的な村社会に近いコミュニティなどでは、他の人と違う価値観の人を叩く文化が見られます。他人叩きの素地は、人間の中に潜んでいるようです。

最近では、社会学や心理学の面から、「被害者叩き」の理由を解明しようという研究も進んでいます。

いろいろな説が唱えられています。アプローチの方向はそれぞれですが、共通していっていることは、他人を叩きやすい人や文化には、特徴的な傾向が見られ、その傾向が強い社会でバッシングが頻発していることです。

日本社会は、他の先進国に比べ、他人叩きが起きやすい文化背景があるのでしょうか。

被害者が叩かれる理由?どんな人が叩くのか?

集団的結束を大事にする人ほど被害者を責める

2016年、アメリカの心理学者、リアネ・ヤング(Liane Young)博士とローラ・ニエミ(Laura Niemi)博士は、その人の道徳的価値観の違いが、被害者への態度の違いに表れることを発表しました。

彼らの研究によると、集団所属意識、忠誠心、服従そして純潔(異質の人間は排除すべき、という考え)を重んじる人ほど、被害者を批難する、または責任をいいつのる傾向が強く見られました。

逆に、個人の意思や価値観を尊重し、誰もが平等に扱われるべきだと考える人ほど、どんな場合でも人に危害を与えるほうが悪い、と考える傾向が強くなりました。

村社会といわれるように、日本は同調圧力の強い、集団志向の社会であることは、いろいろな分野の人たちが指摘するところです。

安定と秩序を信じる人ほど被害者を責める

心理学者の中には、人々が世の中の安定や秩序を望む心が、被害者を責める行動につながる、という解説をする人もいます。

人は誰も、安心して幸福に暮らせる社会を望みます。無意識のうちにこの世は安定と秩序が保たれていると思い込むことで、幸福感や希望を信じる傾向があります。安定と秩序とは、

  • 良いことは良い人に、悪いことは悪い人に起きる
  • 頑張れば報われ、頑張らないと不幸になる

ということが確固としている社会のことです。

不幸な出来事が起きた時は、被害者が悪いことをしたからそうなった、と考えれば、この秩序通りです。が、悪くないのに被害にあったとなると、この信じている秩序が崩れ、自分にもいつか、悪いことをしていないのに悪いことが起きるかもしれない、と不安になってしまいます。

安定と秩序を求める人ほど、被害者を責めるようになる傾向があるのです。そして、集団的結束を望む人が「純潔」を目指すのも、安定と秩序を求める心理と通じていことは、誰にも想像がつきます。

他人叩きをしない社会へ

ダイバーシティー 多様性社会

国土交通省が、2030年の日本の在り方について検討しているシナリオのひとつに、

「多様性社会シナリオ」

というものがあります。

多様性(ダイバーシティー)という言葉、いろいろな所で目にしますね。多様性を認め合い、共生していく社会は、国際社会が描いている未来の地球像とも重なっています。

人種、性別、年齢、価値観、文化などに関係なく、すべての人が生き生きと能力を発揮して生きる社会になることで、その中で生きる日本人が己の文化やアイデンティティを改めて発見・構築していけるのではないか、と国交省は考えているわけです。

「純潔」は「多様性」と正反対の価値観です。そして、純潔から多様性に人々の意識が変換できた時、被害者が責められる文化も変わっていくと思われます。

果たして、2030年はどんな社会になっているのか。それは、今を生きる私たち日本人が、人は自分とは異なることをどこまで受け入れ、他者にどれだけ寛容になれるか、その選択によって変わっていくでしょう。

まさケロンのひとこと

生きているとどこかで必ず感じるよね、多数派が偉いんだっていう謎の圧力。自分とは異質なものを認めようとしない人たち。未来の社会は多様性を認め合っていて、被害者叩きもないといいな~。

masakeron-love


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。