小野田寛郎さん死去。戦後30年間フィリピン・ルバング島に潜伏
小野田寛郎さんが亡くなりました。
91歳でした。
若い世代にとって、小野田さんがどのような人物なのかあまり馴染みがないと思います。
小野田さんは太平洋戦争中、陸軍の将校でした。
終戦をむかえた1945年8月以降もフィリピン・ルバング島のジャングルに潜伏し、数名の部下とともに戦闘行為を継続した人物です。
日本の降伏による任務解除の命令が届かなかったためでした。
太平洋戦争から60年以上が立ち、当時を知る人たちが亡くなっていってしまうことは非常に残念です。
戦争というものがどれほど悲惨で、二度と繰り返してはいけない行為であることを身を持って知っている世代が少なくなってきてしまうことに危機感を感じます。
残留日本兵の苦闘
前述したように小野田さんは終戦後も、ルバング島のジャングルに潜伏し戦闘行為を継続しました。
任務解除の命令が届かなかったため、3人の部下とともにアメリカ軍支配下でジャングルに潜伏し、日本軍のために情報収集とゲリラ戦を展開しました。
1945年9月に小野田さんは戦死したという扱いになりますが、部下の一人が投降したため、残留日本兵として生存していることが日本政府にも伝わりました。
戦後、フィリピンは独立を果たしました。
ところが協定により、アメリカ軍はフィリピン国内に駐留することになります。
小野田さんはこれを
アメリカ軍によるフィリピン支配
と解釈し、レーダー基地などにゲリラ攻撃を仕掛けます。
司令官を狙撃し重症を負わせたこともありました。
弾薬は、破棄された戦闘機用の機関銃弾から火薬を抜き取って使用していたと後に語っています。
地元警察との銃撃戦で部下2人を失った後も、たったひとりでゲリラ戦を継続していきます。
トランジスタラジオを改造し、短波受信機を制作、世界情勢などの情報収集を行いました。
また、捜索隊がわざと残していった新聞や雑誌から戦後の日本の様子はかなり正確に把握していたそうです。
東京オリンピック
や
新幹線開通
も知っていました。
しかし小野田さんは、日本政府が「アメリカの傀儡政権」であり満州に亡命政権があると考えました。
朝鮮戦争やベトナム戦争のため基地から発進するアメリカ軍の軍用機を見て「亡命政権がアメリカ軍を追い詰めている」と感じたそうです。
帰国後は繁栄した日本に馴染むことが出来なかった
長年の戦闘から疲労を高めていった小野田さんは捜索隊と接触します。
そして、日本の敗戦を知るのです。
投降を決意はするものの、徹底した軍人教育を受けていた彼は
と主張、そのため元上官が口頭と文書による命令を下すという異例の措置が取られます。
こうして小野田さんの30年に渡る戦いに幕が降ろされます。
戦後の繁栄した日本に小野田さんは適応することが出来ませんでした。
一時ブラジルに移住し牧場経営などを行っていましたが、晩年は帰国し
という理念に基づき
小野田自然塾
を主催、講演や野営などを通じてジャングル生活で培ったサバイバル術を伝授する活動を行いました。
また自らの経験を綴った多くの著作も残しています。
戦争という悲劇のなかで数奇な人生を送った小野田さんもまた戦争による被害者というこがいえるのではないでしょうか。
ご冥福をお祈りいたします。
戦争の事を知っている方がまたお亡くなりになられたんやな。
同じ過ちを繰り返さないためにも、戦争を実際に経験した人がいるのは必要なことかもしれん。
せやけど、その経験を無駄にしないために我々が注意して生きていかなアカンねんで!