間もなく3月年度末、サラリーマンの多くの皆さんは、バタバタと忙しい時期をお過ごしのことと思います。
日本は、官公庁も民間も会計年度が4~3月、学校のほとんども
春4月が新年度
です。
という気運が高まった時期、多くの世界基準に合わせて大学に9月新年度体制を導入する案が出ていたことがありました。
あれ、最近は沈静化してしまいましたね。
4~3月で区切る年度の習慣は、日本独特のようですが、なぜそうなっているのでしょうか?
明治後期から昭和にかけて確立された習慣
調べてみると、官民の会計年度と学年制など、全てが最初から4月始まりだったわけではなく、いずれも4月に落ち着くまでには、それぞれに二転三転していたのがわかります。
中世の教育制度は一斉同時進学ではなかった
江戸時代、町人や浪人の子は寺子屋で読み書きそろばんを習いましたが、個人経営の塾みたいな所でしたから、いつ入学するのかはバラバラで、勉強の進み具合も個人差の能力に応じていました。
藩士のためには、幕府の学問所や藩校もありましたが、一斉入学、学年進級制とは限りませんでした。
明治になって学制発布後もしばらくは随時入学の慣習は残っていましたが、外国に習って大学ができるようになって、一斉入学がシステム化されていきました。
当初、明治政府の徴兵者登録が9月だったので、優秀な学生が兵隊に取られないようにとの配慮もあって、9月スタートが主でした。
会計年度は稲作カレンダーに沿ったサイクルに落ち着く
幕府も江戸時代の商人も、会計帳面の管理はきちっとしていましたが、一年を区切りに決算報告や予算を立てる習慣が一般化したのは、やはり明治政府が立ってからです。
初めは10月1日がスタートでした。
その後始まり月は幾度か変わっていきます。
明治19年に4月始まりで落ち着きました。
これは諸外国にはあまりないサイクルでしたが、当時の日本経済はまだまだ稲作中心でしたから、米作りが始まる時期が一年のスタートとなることが、一番日本人には合ったようです。
会社も国家予算も学校制度もみんな同じ年度って少数派
教育と政治の年度も法律で揃える日本
国政の年度が4月スタートになると、連動するように地方自治法が施行され、会計年度も4月からに揃えられました。
徴兵者登録も4月になり、教育界も4月一斉入学に変わる学校が出てきますが、9月始まりを通す学校と混在していました。
明治の終り頃になると、国が積極的に教育年度の統一を指導するようになり、やがて小中学校の4月開始は法で明文化されます。
昭和に入る頃になると、高等学校も大学もほぼ4月で統一されました。
戦後、新卒一斉就職が一般化すると、民間企業もほぼすべてが4月から新年度になり、世の中ほとんどのサイクルが揃ったのです。
新卒入社しないとアウトローになりやすい日本の特性
4月スタートも世界では珍しいですが、ここまで政治と教育の年度が連動している国も、先進国では実はとっても少ないようです。
公的教育での予算を決定する上で、行政の会計年度と違うと都合が悪いのは、教育行政の独立性が諸外国のほうが進んでいることの表れでしょうか。
また、新卒一斉就職してそのまま終身雇用する生き方が一番有利になる日本の働き方特性が、企業と学校の年度を連動させている大きな原因のひとつです。
どちらがいいのかは一概には言えないでしょうが、海外留学やホワイトカラーの外国人労働者を増やすグローバル化を勧めたいなら、4月スタートにこだわらないほうが柔軟な対処がしやすいでしょう。
ですが、
のイメージが魂に響く日本人にとって、入学式・入社式と桜がセットじゃなくなるなんて、ちょっと考えづらいかもしれません。
9月スタート導入がイマイチ進まない原因て、そんなところにある気もします。
新年度って言ったら、やっぱり「桜」のイメージがあるから4月がええなぁ~
出会いと別れの季節・・・
さみしいなぁ~