10年程前から、ネット内のコミュニケーションネタとして流行っている
ことばの日
というのがあります。
毎年5月18日は
語呂合わせになることに引っかけて、この日に「言葉」をテーマにした話題があちこちで語られる、という現象です。
中には言葉を正しく使えるように心がける日と紹介している人もいます。
知らずに使っている間違った言葉
今の言葉は乱れている
同じもの・ことを表現するのに複数の言い方・書き方が同じ時代・社会で共存していることを言葉のゆれというのだそうです。
便宜的に別の言い方に分かれたものもありますが、多くは間違った使い方が広まって、複数の言い方が流通しているものです。
本当に間違えて広まる場合もあるし、意図的に新しい(変な)使い方を広める流行も昔からあります。
NHKが2013年に行った日本語のゆれ調査によると、日本人の9割が日本語は乱れていると感じているそうです。
言葉のゆれがどんどん大きくなっていくことは、多くの人があまりいいことではないと思っているようです。
広まっていく誤用の言葉
言葉のゆれ、乱れについて検索すると、よく使われる言葉の間違いを指摘する記事がたくさんヒットします。
- 気が置けない
- 鳥肌が立つ
などの慣用句、情けは人のためならずなどのことわざ、
- 適当
- 全然
- やばい
などの言葉は、使い方の善悪や意味が逆転しているものです。
ウンチクを垂れる(正しくは傾ける)
的を得る(射る)
などは意味が変になることに気付かない誤用。
など用法も言い方も勘違いされているもの。
などなど枚挙にいとまがないようです。
この情報化の時代になぜ言葉の誤用は簡単に広まるのか
間違った使い方をしている人を正せますか?
それほど正しい言葉使いを気にしているのに、なぜ誤用が拡散するのでしょうか。
若い頃、ある時1時間を「1h」と書いてメモを取っていました。
それを見ていた年配の女性が、その後、時刻をメモする時、3時・4時を「3h、4h」と書くようになっていました。
しかし、20歳そこそこの私は
と指摘することができませんでした。
仕事の書類でもないし、意味が通じればいいかと、スルーしていたら、やがてその人と同年代の他の女性の間にも、それが広まっていました。
目上の人や仕事相手などが、本人は全く当り前のように自信を持って間違った言葉を使っていると、面と向かって指摘することって、なかなかできません。
言葉の乱れは、拡散をその場では止めにくいのです。
年代による乱れ意識の格差
前述のNHKの調査によると、年代が上がるほどに日本語の乱れを強く感じている傾向がありました。
若い人は自分の気持ちを表す言葉の語彙がないと、オリジナルな表現を簡単に作っていく傾向があります。
いわゆる女子高生言葉やネット用語の新語創造力とは、時にかなりハイセンスです。
新語の多くはお茶するなど既存の言葉を活用したみたいなものなので、「正しい日本語」視点から見ると誤用かもしれません。
しかし、確信犯的にそれらの言葉を操る人たちには、その言い方が最もぴったりくる表現であり、気持ちが伝わるものなのです。
「誤用」が「変化」に変化する時
年配者も若者も、心のどこかでは日本語が乱れていくことはよくない、と思っています。
しかし、他人の間違いを正すこともできないし、自分が使って気持ちいい言葉は、正しくなくても楽しいから使ってしまうのです。
個人的には、それは人が生きている上であっていい現象だと思っています。
他人に上から指南する気まずさを回避する気持ちも、
ではなく
でなければ伝わらないニュアンスがある、という感覚も理解できます。
が、間違いだとわかって黙認している、遊びだとわかって使っている人だけならばいいのですが、正しいと思って真似する人が、時や場を考えずどんどん使うようになると、
誤用が一般化し
意味や用法が変化せざるを得ないようになるのかな、と思います。
言葉は変わり続けるもの
誤用も新語創造も社会の営みの中では無くすことはたぶんできません。
要は、
という共通認識が大勢のうちは誤用で、それが薄れていくと変化になるのでしょう。
もしどうしても変化してほしくない言葉があれば、使ってはNGの時に遊びの言葉を使う人や、間違いを正しいと思いこんでいる人に会う度に、頑張って「それ違うよー」と言い続けるしかありません。
ことばの日を他人の間違いを気兼ねなく指摘してもいい日にするとか・・・・・
いや、それじゃ自分の首絞めそうか。
「ことばの日」は、ネットで流行りだしたんやねぇ~
正しい言葉を使う日って言ってる人もいるんやぁ~
って・・・
ネット自体、間違った言葉がぎょうさん存在するのに、矛盾してるやん。