で有名な日光東照宮。
今、栃木県日光市の日光東照宮の国宝・陽明門で、このタイミングでしか観ることが出来ない特別な壁画が話題になっています。
現在、「平成の大修理」が行われている東照宮で、羽目板に覆われて隠されていた東西の壁画が鑑賞できるのです。
東西にある壁画は、1752年に描かれ、劣化が激しかったために寛政時代の1796年にそれぞれ、彫刻を施した羽目板で覆われたそうです。
今回、今年7月に初めて羽目板が外された200年ぶりのお目見えの鶴や松が描かれた西側の桐油(とうゆ)蒔絵と、約40年前の「昭和の大修理」で確認されたキンカチョウや梅を題材とした東側壁画も、合わせて公開されました。
今、東照宮を拝観すれば、修理中の陽明門の外周をアクリル板で覆ってあり、外周から鑑賞が可能だそうです。そしてこのレアな壁画は、今回の修理が終わると、約50年後の次の修理まで再び羽目板で覆われ、観ることができなくなります。
壁画を確認した方によれば、壁画自体は当時の鮮やかさはなく、絵具の変色と剥落が進んでしまっているようですが、西側の壁画は、親鳥に見守られる巣の中の3羽の雛(鶴の親子)が描かれており、ほほえましく、すばらしいものだそうです。
壁画と羽目板
ところで、なぜ、西の壁画が今になるまで羽目板で隠されていたのでしょうか?
気になるところですよね。
これまでにすでに、傷んでは二~三回描き直し、更新をしていたそうですが、色彩を付け直していくうち修理に限界がきて、壁画の上に牡丹の彫刻をはめこんだため、今回の修理まで確認されることがなかったそうです。
決して秘宝のように隠されていたわけではなく、陽明門の西側面に直接描かれていたので、その絵が劣化しては描き直し、もうこれ以上、絵を描き直すことができなくなったため、あきらめて見切りをつけて、彫刻がはめこまれていたということです。
東照宮に施されたすばらしい技術
日光東照宮は、三代将軍家光の時代に大規模な造替工事が行われ、ほぼ現在のかたちになったそう。
驚くことに、家康の二一回忌に完成を目指したこの大造替は、1634年から1年5か月という短期間で行われたそうです。
全国から動員された職工は
- 大工
- 木挽
- 彫工
- 鳶
- 絵師
- 漆師
など、あわせると450万人にも上ったといわれています。一日あたり、9000人弱の人々が働いていたそうです。
しかし、その人数が一度にそこで作業をするのは難しかったようで、江戸(東京)である程度かたちにしておいて、部材も色染めしたうえで、日光に運んで仕上げたという話がのこっています。
東照宮では、そういった職人達が自分の功績を後世に残そうとして、外観からはわからないところに、住所や名前を書き残したものがみつかったりしています。
その当時のいろいろな職種の専門家が集まって建立された日光東照宮は、それ故に日本古来の建築様式が集約され、幅広い技法が散りばめられたすばらしいものです。
もうひとつの秘密
今回発見されて羽目板を外された西側の壁画に、もうひとつ驚くべき事実が!
この絵の下には更に別の絵が描かれている可能性があるそうです。
前回のエックス線写真からの見解で縁取り模様のような外枠を少しだけ確認されているそうです。
今後、あらためてエックス線撮影で透過し、確認作業を行なうという話です。
今回、この幸運なチャンスに壁画を拝観された方は、みなさん、とても感激していらっしゃるようです。
260年前に描かれた壁画の歴史が、垣間見れる一瞬ですね。
関東随一の山岳信仰の霊場である日光山。
東照宮は、それだけ大切な場所だったのでしょう。
みなさんも、このチャンスに、ぜひ、東照宮に参拝されてはいかがでしょう。
こういう歴史があるものが見れるチャンスを逃す手はないで!
次いつ見れるかわからんしなぁ~