ライフスタイル

ライドシェアのネック。「ちゃんとしている」の安心を考える

Written by すずき大和

最近「ライドシェア」「ライドシェアリング」という言葉をニュースなどで見かけることがあります。

平たく言うと

「自動車の相乗り」

のことです。

欧米発祥のシェアリング文化

昔ヒッチハイク、今ライドシェア

欧米では、アナログな時代から主に低所得者層の都市間移動手段として、「ヒッチハイク」という習慣がありました。

公共交通ではなく、個人的に誰かの車に乗せてもらって移動する、どこかへ行くついでに見知らぬ誰かを乗せてあげる、という言わば人の善意に頼った助け合い行為が、今も当たり前の選択肢として社会に容認されています。

もっとも21世紀の現在は、ヒッチハイクではなく、安全性やもしもの場合の保障などにも配慮して、組織的に運営されるマッチングサービス事業が発展しており、それらを利用する人が大半です。

エコや渋滞緩和などの観点から自治体や国もライドシェアリングを奨励している場合が多く、二人以上乗っている車のほうが、一人乗りより有料道路の料金が安くなるなどの優遇サービスもあります。

日本での普及は今ひとつ

日本でも、スマホの普及に伴い、ようやくネットサイトやアプリを活用したライドシェアのマッチングサービスが少しずつ導入され始めています。

最初にライドシェアサービスが事業化されたのは2007年でした。

欧州でのライドシェアを体験して感嘆した20代の青年が、大学生数人と一緒に立ち上げたライドシェア・マッチングサイトの運営から始まりました。

最初はなかなか利用者が集まりませんでしたが、体験者の口コミなどがネットで少しずつ広まるうちに、20代の若い層を中心に利用登録者の数が増加しています。その後、後追いで類似のサービスを提供するサイトも増えています。

しかし、大都市以外の地方や40代以上の人たちの間にはなかなか広まっていかない状況です。

日本でのサービス展開を狙うアメリカ企業と日本の大学が共同で始めた、地方都市でのニーズ調査のための実験運用が、法規制の問題で国から中止要請が出される、ということもありました。

どうも見知らぬ他人との「相乗り」は、日本文化には馴染みづらい面があるようです。



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日本でのライドシェア普及のハードル

欧米にはない白タク禁止の法規制

日本でライドシェア事業が広まりにくい原因として、物理的障害となっているのは、無許可でタクシー業を行ういわゆる「白タク」を禁止する道路運送法です。

この法律により、協力ドライバーへの謝礼をシステム化することや配車送迎サービスの形が規制されるため、乗り手が乗せ手に謝礼の形で金銭を渡すことができない、など、サービスの形態が欧米よりも限定されます。

アメリカ企業が参入した実験運用に待ったがかけられた根拠もそこにありました。

ちなみに、アメリカでは、ある程度の金額を経費も含めた「お礼」として支払う形のライドシェアが一般的です。

一般ドライバーの乗せ手の中には、有料ボランティア感覚で協力している人も多く、都市近郊の近距離送迎に特化して時給30ドルくらいの“稼ぎ”を出している人もいるそうです。

今回の地方都市での実験では、ニーズの調査が目的であったため、乗り手には経費の負担を求めず、企業がドライバーに「謝礼」として金銭を払ったため、白タク営業と見なされてしまいました。

また、マッチング交渉を当人に任せず、配車の手配調整まで事業者が行う形だったので、乗り手はハイヤーを呼ぶように行先と乗る場所を指定し、手配される車を待つだけでした。この形態が、タクシー業界と競合してしまう、という反発もありました。

日本人に根強い、素人ドライバーへの抵抗感

そして、日本社会で受け入れられにくい社会心理的な要因は、一般人の運転する車に乗ることの不安感、抵抗感が、欧米人よりも強いという点があります。

ヒッチハイクの習慣がほとんど広まらなかったのは、日本の公共交通が便利で、赤の他人をあてにする必要性が少なかったという理由よりも、この価値観の影響が大きかったと分析する研究者もいます。

現在ある欧米で利用されているサービスも、日本のライドシェア事業者も、ほとんどが不適格なドライバーのチェックシステムを厳しく整え、事故時対応のためには保険加入を義務付けるどの対策を取っています。

が、日本社会ではまだまだ営業資格のあるなしが「安心・安全」の判断の分かれ目と考える雰囲気があります。

実績や理念や自分の目で見た判断より、ルールとお墨付き

規定外の営業が、必ずしも怪しいものとは限らない

タクシー業に関わらず、国の営業認可とは、規定条件に合致しているかどうかで判断されます。

多くの場合、安全基準などが配慮された規定ではありますが、内容によっては、規定の範囲と異なるサービスはできないという規制になっている面もあります。

利用者の細かなニーズに応えるため、国の定めと異なるサービスの形を目指す事業者が、あえて無認可の営業を展開する場合もあります。

建物の規制などを緩和して作られる無認可保育園などはよくある例ですね。

低コストで安全に、認可保育園に入れなかった子どもをフォローするための策である場合は少なくありません。

認可規定条件が満たされない場合でも、安全性や保育の質の低下にならない工夫をこらしている所はいくらでもあります。

しかし、事業者の理念や実情への適応優先順位の説明など聞かず、無認可は良くない、と決めつける人はたくさんいます。

実態を自分の目で見て判断する自己責任が尊重されにくい社会

他にも認可事業外の形態が存在するものはいろいろあります。

実際の中味を吟味すると、無認可の所でも規制の範囲のサービスより優れていると判断する人もいるかもしれません。

通り一遍の対処よりも臨機応変した例外的対応のほうが、法律の目指す目的にかなう場合もあるかもしれません。

しかし、実質を見て自分で考えて判断した選択でも、認可外を選ぶ行為は周りから無責任と批判される場合は少なくありません。

「ちゃんとしている」の基準が公的お墨付き

日本よりも個人主義や自己責任の考え方が確立している欧米では、公的サービスと私的な助け合いは、それぞれに利点が認められ、個人のニーズに合わせた選択をされることに抵抗や批判はほとんど出てきません。

リスクやデメリットはそれぞれが判断して受け入れるものであり、まさに、それが欧米社会の考える自己責任論です。

日本は、法律で規定されたルールに則ることが、「ちゃんとしている」という概念が社会に定着しています。

特に、最近の日本では、自己責任論が「自業自得」の意味で解釈されており、「ちゃんとしていない」ものの選択は

イコール

「何をされるかわからない、何をされても文句がいえない」

という極端な見方をする傾向が強まっています。

事実婚や非嫡出子などの人が「ちゃんとしていない」ために差別されることも自業自得と言う人もいます。

日本のライドシェアのゆくえ

欧米の考え方が必ずしも正しいとは限らないし、日本人が真似するべきかどうかはいろいろな考えがあると思います。

ただ、ライドシェアが受け入れられるかどうかは、この自己責任の考え方の違いに考慮した対応がどこまでできるかに深く関わっている、という点は否めないのではないでしょうか。白タク禁止の法律の背景にも、そんな社会心理があるのですから。

エコと節約と旅は道連れの楽しさを取ることに抵抗がないのは、今の所、20代の若い人たちが圧倒的に多いです。

震災後、人の絆が重視される気運が高まっている今、「ちゃんとしている」にこだわりがちな年代の人たちに、ライドシェアの助け合い精神を受け入れてもらいやすいタイミングとなるのでしょうか・・・。

まさケロンのひとこと

ライドシェアで助け合いをしたあと、別のカタチ(仕事の関係とか)で同じ人と助けあいがあるかもしれないよね。
人とのつながりを増やしていくっていう意味でも、ライドシェアはいいかも。

masakeron-love


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筆者情報

すずき大和

調べもの大好き、文章書くことも人に説明することも好きなので、どんな仕事についても、気付くと情報のコーディネイトをする立場の仕事が回ってきました。好奇心とおせっかい心と、元来の細かい所が気になると追求してしまう性格をフルに発揮して、いろいろなジャンルのコラムを書いています。