世界共通語
英語はツールなのか
筆者の職場やその周囲の環境は、英語を必要としません。
英会話が出来れば便利だね、という程度のものです。だから、社内公用語が英語、なんていう企業のことがときどき話題になったしますが、ちょっと実感できないでいます。
社内公用語が英語ということは、どうやら社内では日常会話として英語を話さなければならないらしいのです。日本の企業にもかかわらず、です。
筆者にはこれがとても奇妙なことに思えてならないのです。
もちろんその企業の業務内容によっては社員が全員、英語のスキルを身につけていなければ仕事にならない、というケースもあるでしょう。
また外資系であれば、外国の企業が親なのだから、英語が必須スキルであることは納得できます。
ですが、社内公用語として英語を採用している企業の中には、
「これからは国際社会での競争力が日本の企業にも求められる時代である。我が社の社員にも国際的な競争力を身につける、という自覚が求められる」
という理由から社員に英語を強制している企業もあるようなのです。
もしこのような考えを持った、経営者がいたのなら、筆者は、
「英語を自由自在に操れることが、国際化なのですか?」
と問いただしたいのです。
果たして、英語に堪能=国際社会で活動できる、という図式は成り立つのでしょうか?
英語というものはそんなに便利なツールなのでしょうか?
英語は世界共通語である。
英語は実質的に世界共通語といわれています。
英語を話すことが出来れば、世界中のどこの国に行ってもその国の人とコミュニケーションがとれるという意見もあるぐらいです。
日本と密接な関係にあるアメリカも英語を話す国です。このことから考えると、国際社会に出るためには、最低限英語の読み書き、そして会話が出来なければならないということになります。
だからそういったことを視野に入れている人は皆英語のスキルを磨きます。子供をあえてインターナショナル・スクールに通わせる親もいると聞きます。
最近では英語は出来て当たりまえであり、英語以外にも中国語やフランス語などといった外国語も理解できてこそ、本当の世界に通用する人材である、と考える風潮もあるようです。
筆者は英語を勉強することは否定しません。筆者自身、独学ではありますが英語の勉強を少しづつ続けています。
でも筆者が最近感じるのは、国際化ということを考えずに、ただひたすら英語のスキルを磨こうとする人たちが多いような気がするのです。
目的を見失った状態と言えるのではないでしょうか?
「私はこんなに英語を勉強しています。会話もほぼネイティヴに近い正しい発音が出来ます。これで私も国際人の仲間入りですね」
こういった考えの人が多いような気がするのは、筆者の気のせいでしょうか?
日本人としてのアイデンティティー
国際化とはどういうことか?
筆者の友人で、若い頃バックパッカーとして世界中を旅した経験を持つ男性がいます。
彼が中東を旅していたときのことです。中東といえばイスラム教の教えを厳格に守っている人たちが多く住む場所です。
中東を旅して、そこに住む人々とコミュニケーションを取ると、必ず宗教の話になるとその友人は言うのです。
そして最終的には、
「お前たち日本人はどのような神を信じているのか?」
という質問をしてくるのだそうです。
日本人の多くが特定の神を信じたりはしていません。
友人も例外ではありません。
そこで、
「自分は神を信じていない。日本人の多くは自分と同じである」
と答えるのですが、その時は「なぜ神を信じていないのか」をきちんと説明する必要があるというのです。
理由を説明しなければ、相手が納得しないと言うのはいわば当たり前のことですが、外国人に「日本人はなぜ○○なのか?」と質問された場合に、理由もしっかり説明できるようにするためには、日本人としてのアイデンティティーをしっかり持っていなければ出来ないことだと思うのです。
(ここでいう「日本人としてのアイデンティティー」とは愛国心とは別のものです。日本人として外国人に対し、しっかりとした自己紹介が出来るか? といったような意味合いです)
そしてほとんどの日本人は、筆者も含めて、おそらくこれが出来ないと思うのです。
形から入ってしまっているかもしれない
ここまでで以下のような感想を持った人もいるかもしれません。
まったくその通りだと、筆者は思います。
筆者は英語を否定しているわけではありません。
でも多くの人が「英語に堪能になる」という形から入ってしまっていると思うのです。先の友人の中東の例で言うと、
「どんな神を信じているかだって? 私は無神論者です、と答えればいいだろう。えーっと無神論者って英語でなんて言ったっけ?」
というステップに陥る可能性がありませんか?
英語をしゃべることが出来れば、確かに世界中の人たちとコミュニケーションできます。
正直に言って筆者もそれが目的で英語を勉強しているのです。
でもその前に日本人として世界に向けて自己紹介できるような基礎を固めておかなければ、本当の意味で世界とコミュニケーションを取ることはできないと思うんです。
自分の国の歴史もしっかりと知っておかなければいけないし、政治に関しても自分の意見を述べることができなくてはなりません。
自分の国の伝統もよく理解するべきです。自分の国がいま抱えている問題についてもしっかりと意見できなくてはいけないのではないでしょうか?
このような基礎があってはじめて英語がツールとして役に立つ、筆者はそう思います。
この基礎が無い状態で英語のスキルを磨くのは、まだ本を一冊も持っていないのに、高価な本棚を買うようなものだと筆者は感じます。
筆者のこの考えは一見、ビジネスの世界では不要に思われますが、実はビジネスの世界でこそ、この「基礎」が大きな武器になると思うのです。
パソコンやインターネットといった分野は完全にアメリカ主導のビジネスと言えるでしょう。
このなかで日本の伝統をしっかりと把握していれば、日本に古くから伝わる文化とインターネットを融合させた新たなビジネスモデルが開拓できるかもしれません。
また、日本が抱える問題を正確に把握していれば、今自社が海外に進出するべきかどうかも正確に判断できるのではないでしょうか?
ものづくりの技術が日本の最大の武器であることを自覚していれば、ビジネスという利益追求の現場において諸外国とも自身を持って対等に渡り合うことが出来ると筆者は思います。
日本をよく知ること、これが国際社会で活躍するための鍵であると筆者は考えます。
そしてそれを効果的に使うための手段が英語力。
この順番が逆になってしまっていては世界で活躍することは難しいのではないか、筆者はそのように感じます。
いつかドラえもんにでてくる「ほんやくコンニャク」みたいなものができて、『言葉の壁』なんていうものはなくなる気がするな。そんな時にどんな人が活躍するのか?って考えると、やっぱりこの記事にでてくる「基礎」がしっかりしてる人だと思うんだ。英語力を磨くより先に「基礎」をかためるべし!!