お正月のおせち料理の定番野菜、レンコン。
初ものは8月の下旬くらいから出回りますが、太くて厚くてシャキシャキとした歯ごたえが美味しい、旬の時期は、今ぐらいから早春の頃になります。
おせちになる理由は、冬が一番出回る時季であるためだけでなく、レンコンはとても「縁起のいい野菜」として、昔から祝い料理に欠かせない食材だったからです。
ところが、一方で蓮の「花」はもっぱら弔事のシンボルのように扱われ、祝いの席に蓮のデザインの着物など着ていった日には、どれだけバッシングされるかわかりません。
蓮って、縁起いいもの?悪いもの?本当はどっちなんでしょう?
レンコンの縁起はその“穴”のせいと言われています
レンコンの穴は花や葉までずっと続いている
水の中に根や茎が浸かった状態で育つ水生植物は、酸素が取り込みにくい水中部分までしっかり空気を送るために、花や葉から葉柄、茎の内部には空気を運ぶための穴が通っています。クレソンや稲の茎の中が空洞なのもそのためです。
レンコンに開いた多くの穴も、まさにこの通気孔です。
レンコンは蓮根と書きますが、実際は蓮の根ではなく地下茎部分が肥大化したものなので、通気孔を持っているのです。
試しに花茎を切っても、断面にはレンコンと同じ小さい穴がたくさん開いています。
暗澹とした世の中、先が見通せることはいいこと
穴がずうっと通っている、つまり先までずっと通じている、ということから、先が見通せる、という意味に繋がり、レンコンは縁起のよい食べ物とされてきました。
実は昔々の由来では、穴のせいだけではなく、“蓮”そのものが、元来縁起のいい高貴な植物として扱われていました。しかし、現代ではすっかり解釈が逆転しています。
蓮は仏教と結びついた花
蓮は仏教思想と共に日本に伝来してきました
蓮は奈良時代の頃中国から伝わりました。大陸と船で行き来するようになり、当時日本に伝わったものは、いくつもあります。
蓮の他いろいろな動植物も多数持ち込まれましたが、漢字や伝説や習慣など、有形無形の様々な文化も伝わりました。中でも、大きな影響をもたらしたのは仏教の伝来です。蓮は仏教信仰の話の中にも多く登場します。
仏教の発祥地インドでは、蓮は最高に縁起のいいものです
仏教は、インドの釈迦が開祖となって広めた宗教です。
その世界観にはインドの伝統が反映しています。
古代インドには神は蓮から誕生したという神話があり、蓮は吉祥の象徴となっています。
蓮の花は、散ると花茎が鉢型に大きくなり、表面にたくさんの穴があいた蜂の巣のような形のものができます。
その穴の中に一つずつ種(実)ができます。ひとつの花にたくさん実ができることが、豊穣や子孫繁栄を象徴して縁起がいいとも解釈されていました。
また、泥の中から茎をのばして美しい花を次々咲かせては結実していくので、蓮池を見渡すと同時に花と実がついています。
仏教では、迷いに染まることなく悟り(花と実)を得ることを蓮に例え、台座のデザインに蓮の葉が使われました。日本や中国では極楽浄土の風景として蓮池が描かれます。
蓮は仏教を象徴する花
仏は仏教の説く「人の生き方の目指すところ」を達成した者のことです(神様ではありません)。
釈迦は生前から既に仏の域に達した人(仏陀)と呼ばれました。そんな仏や仏教を象徴する蓮の花は、縁起が悪いわけがありません。インドでは、当然最高におめでたい花として、結婚式でも進んで贈られています。
仏様を象徴する花は縁起が悪い!?不思議な仏教国ニッポン
蓮の花は日本でも仏様の象徴
仏教国に入っている日本でも、蓮の花は仏様の象徴です。
それなのに「縁起が悪い」とされています。
冷静に考えると、理解に苦しむ解釈です。
それは、日本の仏教は大陸で信仰されている仏教とは異なる特殊な宗教になっているためです。
簡単に言うと、日本では仏とは仏陀(悟りを開いた人)のことではなく「死んだ人」のことと思われています。
遺体のことを「仏さん」と呼ぶ仏教国は他にありません。
日本の仏教は死者のためのもの
日本では、仏教とはもっぱら葬式と法事、いわば死者の供養のための宗教です。
誕生に際しては神様信仰が一般的で、結婚式は神教かキリスト教、土着のご先祖様信仰も根強く、夏にはお盆行事(仏教行事の盂蘭盆とは違うものです)を毎年大事にしています。
この国では、仏教そのものが死者のためのものであるため、その象徴の蓮の花は「お葬式の花」以外の何物でもなく、縁起が悪いのです。
生き方にはゆるい、しきたりにはうるさい日本人
もともとの仏教の教えとは
釈迦の教えは人の生き方を説くものです。
インドの死生観では、人は死ぬと永遠に6つの世界で輪廻転生(生まれ変わり)を繰り返します。
どの世界も苦悩に満ちており、生きるとは永遠に苦しみに耐えることです。
釈迦は、悟りを開くことでその苦の循環から抜け出し(解脱[げだつ])、心安らかな状態(涅槃[ねはん])に至ると説きました。
そして、そのために修行することを実践し続け、仏陀に目覚めた後も人々に教えを説きました。
土着信仰と習合しながら独自の発展をした日本の仏教
日本にはもともと八百万[やおよろず]の神様信仰が存在し、ご先祖様を信仰する風習もありました。
歴史の中で、時の権力者は、政治力を強めるために強制的に庶民に仏教を布教することを繰り返しました。
中世には檀家制度といって、誰もがどこかのお寺の信者として登録され、寺がある種の住民管理を担うしくみができあがります。
しかし、土着の風習や信仰とは、そう簡単に人々の生活から無くなるものではなく、いろいろな風習が仏教の教えと合体(習合)して残っていきました。
お盆の法要をお寺が行うのもそのひとつの形です。ご先祖様信仰の死生観と仏教が習合される中で、教えの解釈もどんどん変わっていきました。
死んだ後からも、お経さえあげれば誰でも成仏できる
元来の仏教は因果応報の考え方をするので、現世で善い生き方をすれば、来世で良い世界へ生まれ変わり、悪行を行えば悪い世界に生まれ変わります。
修行して悟りを開けば仏に至れます。
しかし、日本では、修行せずとも念仏さえ唱えれば極楽浄土という苦がない世界へ行ける、という教え(浄土宗)が起き、生き方の因果応報感覚はだんだん失われていきます。
そのうち、どんな生き方・死に方をした人も、お経さえあげれば仏になってしまう、というところまで来てしまいました。
日本でいう成仏とは、仏(悟りを開いた人)に成ることではなく、死んだあと極楽浄土へ行くことを意味しています。
死生観の輪廻転生から解脱するために、今の人生をどう生きればいいかを突き詰めるのが本来の仏教ですから、他の宗教よりも「死」について説く部分がとても大きい意味を持っています。
「どう生きればいいか」の部分が問われなくなってしまったら、残りは死後のケア部分だけに関わる宗教になるのは必然の流れだったのでしょうか。
かくして、日本では仏教=お葬式となり、仏の花の蓮は弔事専門の意匠になりました。
しきたりに拘る日本文化の中で、蓮の花は不祝儀という概念に異を唱えることは、もはや無理そうです。
レンコンがその穴のおかげで「縁起物」として生き残れたのは奇跡的なことかもしれません・・・・・お釈迦様、いろいろごめんなさい。
日本で仏は「死んだ人」のこと。って、ほかの国もてっきりそうだと思ってたけど日本だけだったんかーい!