この句は、間違いなく日本で最も有名な俳句のひとつだと思われます。
誰もが一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか。
徳川4代目将軍家綱の時世1678年に
俳人・山口素堂
が詠みました。
戦国の世が遠くになり、江戸の町はすっかり安定し、庶民の生活の中にもゆとりが生れ、町民文化がこの先様々に花開いていく、その始まりの時代、江戸っ子の好む初夏の風物詩が歌われています。
初ものを好む江戸文化
粋でいなせな心意気がカッコいい町民文化
この時代、まだ江戸っ子という呼び名は使われず、江戸ものと言われていましたが、既に
- 向こう見ずで喧嘩っ早い
- 見栄っ張りで強がり
- 理屈より人情
という気風は出来上がっていたようです。
浅はかと評されることもありますが、目に見える所の勢いや格好の良さにこだわりを見出し、決断力早くさっぱりした気風は粋でいなせな江戸文化の原動力でありました。
初ものは縁起物
そんな粋な江戸庶民は、常に流行の先端、人より先んじて新しい物に手を出すのが大好きでした。
季節や旬のある食べ物についても、収穫期の最初にとれたもの(走り)を初ものと呼び“生気がみなぎり食べれば生命力が上がる”と考えていました。
栄養化や味については、本当は旬のほうが良くなり、収穫量が多い時ほど安くもなります。
格好より中身を優先する気質の関西人などは、走りの品など見向きもしなかったそうですが、こと江戸のマーケットに関しては、高くても初ものを買いたがる人がたくさんいました。
初鰹を喜ぶ風情は江戸庶民の気風を象徴する光景だったのでしょう。
旬を味わいながら初ものの縁起も担げる初鰹
年に2回の旬がある鰹
回遊魚の鰹は、春に黒潮に乗って北上し、東北沖で夏を過ごすと秋に再び南下してそのまま熱帯地方の海まで行って産卵し、冬を越します。
4~6月にかけて九州から関東、東北へと北上してくるものを収穫したのが初鰹、10月ごろ南下してくるものが水揚げされると戻り鰹と呼ばれます。
初ものというと、普通は収穫期の最初にとれたもののことですが、鰹については、九州から関東の沿岸で捕れる春の収穫期全般のものを初鰹と言っているので、「初」なのに、ほんとの走りも旬もあります。
身が引き締まり、さっぱり爽やかな旬の初鰹
江戸ものにとっては、港に最初に水揚げされた走りのものほど希少価値がありますが、収穫ピークで少し安くなった時期がやはり一番売れました。
5月の鰹を旬の初鰹などと、日本語的にはちょっと矛盾する言葉で表現している人、今でもよく見ますね。
冬に遠い南洋で産卵し、1月頃から黒潮に乗ってはるばる日本まで来た初鰹は、余計な脂肪がそぎ落とされ、身の締まったさっぱり爽やかな味わいです。
東北沖で悠々と餌を食べて夏を過ごし、南に帰ろうとしたところを捕る戻り鰹のほうが、脂がのって柔らかく美味しいと言われますが、プリン体も豊富なので、メタボが気になる現代人は初鰹のほうが向いていそうです。
秋まで待つのは野暮 初ものだからこその粋
初もの好きの江戸ものにとっては、秋のほうが旨いと言われたからといって秋まで待つなんざぁ野暮なことです。
また、脂が少ない分ちょっと血生臭さが強めの初鰹のほうが、余計に生気みなぎる」パワーを感じたのかもしれません。
という言葉も今に残っています。
それくらい、江戸庶民にとって
初鰹は粋の証
だったのでしょう。
鰹に限らず当時の江戸では
と言われたそうですが、
初鰹は75日どころか750日伸びる
といって珍重されました。
初鰹人気が最も高まっていた江戸末期、1812年3月25日に魚河岸に入荷した初鰹の中の1本を歌舞伎役者の中村歌右衛門が3両(約40万円)で買い取った、などという逸話も残っています。
庶民がそこまで見栄を張って散財することはありませんが、今にちの私たちも、初鰹で季節を粋に感じてみたいですね。
昔から、初鰹は江戸っ子に愛されとってんなぁ~
まさケロンも、久々に鰹食べたくなってきたわ!